『ヒューマンブックレット18 非核「神戸方式」』
大川義篤・著/兵庫問題研究所1992年
非核「神戸方式」、これは平和国というのならば大切なことだろう。いろいろな運動をされている方たちがいることを知っていただきたく思います。
1975年3月18日、神戸市会は「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を全会一致で採択。下「」引用。
「 核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議
神戸港は、その入港船舶数及び取扱い貨物からみても、世界の代表的な国際商業貿易港である。
利用するものにとっては使いやすい港、働く人にとっては働きやすい港として発展しつつある神戸港は、同時に市民に親しまれる平和な港でなければならない。
この港に核兵器があるとすれば、港湾機能はもとより、市民の不安と混乱は想像に難くないものがある。
よって神戸市会は核兵器を積載した艦艇の神戸港入港を一切拒否するものである。
以上、決議する
一九七五年三月一八日 神戸市会」
この決議文も平和憲法に合致しているものですね。
タイコンデロガが核兵器搭載したまま横須賀に入港していたという。
横須賀といえば、小泉純一郎の選挙区ですね。
index
神戸港は戦後(1945年~1951年)。
・現在の第一突堤基部に設置された米軍ボートコマンドに常駐する基地司令官が、自由かつ無制限な権利を行使。
1952年、六突を除いて条件付で返還。朝鮮戦争の時なども使用されたという。下「」引用。
「朝鮮戦争やベトナム戦争時には、アメリカ第七艦隊の旗艦をはじめ、多くの艦艇が自由に入港し、連日、軍用車・武器・弾薬・食糧その他あらゆる軍事物資が積み出されました。破壊されたヘリコプターや戦車も持ち込まれました。労働者は、カービン銃をかまえた米兵の監視の下で、冷凍死体から肉片のついた戦車の荷役までやらされました。」
タイコンデロガとは。下「」引用。
「また、米「ニューズウィーク」誌(一九八九年五月)は、一九六五年に、ベトナム戦争での作戦を終えた米空母「タイコンデロガ」が日本の沖縄近郊を航海中、一メガトン級の水爆を積んだ艦載機が誤って海に落ちるという事故があったことを報じました。日本でも、核兵器持ち込みの疑惑をいっそう強めた事件として大きく報道されました。私たち兵庫県原水協は、さっそく当時の資料を調べたところ、この空母タイコンデロガが神戸港にも少なくとも二回(一九六○年八月、一九六三年六月)入港していた事実が判明しています。」
そして、国際的「神戸方式」が広がっているという。」
著者は、東京農工大卒、日本キリスト教団農村伝道神学校卒、牧師。
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大川義篤・著/兵庫問題研究所1992年
非核「神戸方式」、これは平和国というのならば大切なことだろう。いろいろな運動をされている方たちがいることを知っていただきたく思います。
1975年3月18日、神戸市会は「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を全会一致で採択。下「」引用。
「 核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議
神戸港は、その入港船舶数及び取扱い貨物からみても、世界の代表的な国際商業貿易港である。
利用するものにとっては使いやすい港、働く人にとっては働きやすい港として発展しつつある神戸港は、同時に市民に親しまれる平和な港でなければならない。
この港に核兵器があるとすれば、港湾機能はもとより、市民の不安と混乱は想像に難くないものがある。
よって神戸市会は核兵器を積載した艦艇の神戸港入港を一切拒否するものである。
以上、決議する
一九七五年三月一八日 神戸市会」
この決議文も平和憲法に合致しているものですね。
タイコンデロガが核兵器搭載したまま横須賀に入港していたという。
横須賀といえば、小泉純一郎の選挙区ですね。
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神戸港は戦後(1945年~1951年)。
・現在の第一突堤基部に設置された米軍ボートコマンドに常駐する基地司令官が、自由かつ無制限な権利を行使。
1952年、六突を除いて条件付で返還。朝鮮戦争の時なども使用されたという。下「」引用。
「朝鮮戦争やベトナム戦争時には、アメリカ第七艦隊の旗艦をはじめ、多くの艦艇が自由に入港し、連日、軍用車・武器・弾薬・食糧その他あらゆる軍事物資が積み出されました。破壊されたヘリコプターや戦車も持ち込まれました。労働者は、カービン銃をかまえた米兵の監視の下で、冷凍死体から肉片のついた戦車の荷役までやらされました。」
タイコンデロガとは。下「」引用。
「また、米「ニューズウィーク」誌(一九八九年五月)は、一九六五年に、ベトナム戦争での作戦を終えた米空母「タイコンデロガ」が日本の沖縄近郊を航海中、一メガトン級の水爆を積んだ艦載機が誤って海に落ちるという事故があったことを報じました。日本でも、核兵器持ち込みの疑惑をいっそう強めた事件として大きく報道されました。私たち兵庫県原水協は、さっそく当時の資料を調べたところ、この空母タイコンデロガが神戸港にも少なくとも二回(一九六○年八月、一九六三年六月)入港していた事実が判明しています。」
そして、国際的「神戸方式」が広がっているという。」
著者は、東京農工大卒、日本キリスト教団農村伝道神学校卒、牧師。
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