磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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みすず 1992年12月

2008年10月14日 | 読書日記など
『みすず 1992年12月』
   みすず書房・編/みすず書房1992年

「ドイツ人科学者と原爆--一九四五年・ファームホール盗聴記録--」J・バーンスタイン(著)/中河原幹晴(訳)があるから、原爆小文庫にあると思います。



--1945年の夏から秋。
イギリスに抑留されていたドイツの主だった原子核科学者10人の会話の【盗聴】録音。
1992年に公開されたという。その部分もある。

手紙でハーンは分裂することに驚いていたという。下「」引用。

「マイトナーと、彼女の甥で物理学者のオットー・フリッシュは、この現象をフリッシュが核分裂と名付けた過程で、原子核を液的のように扱い、中性子が衝突すると二つの小さな液的に分裂する模型で説明できることを示した。」

発見をしたのは、マイトナー。
--しかし、受賞したのはハーン。

--1942年2月、ベルリンで軍事及び文官当局者にの会合があり、その時のリスト。下「」引用。

「1 シューマン教授・博士「兵器としての原子核物理学」
2 ハーン教授・博士「ウラン原子核の核分裂」
3 ハイゼンベルク教授・博士「ウラン核分裂によるエネルギー生成の理論的基礎」
4 ボーテ教授・博士「現在までに検討されてきたエネルギー生成の設計結果」
5 ガイガー教授・博士〔カウンターの発明者〕「一般的基礎研究の必要性」
6 クルジウス教授・博士「ウラン同位体の濃縮」
7 ハルテック教授・博士「重水の製造」
8 エサウ教授・博士「第三帝国のその他省庁と産業の協力関係を通じた『原子核物理学』研究グループの拡充」

(後の講演の中で、ハイゼルベルクはもし十分なウラン235が蓄積できれば「想像を絶する効果」の爆弾ができることを指摘した。)」

しかし、案があっても、彼は作らなかった。
--彼は、原子力発電を実用化しようと考えていた……。

当時の日本疎開児童でも、原爆のことを知っている人もいた。
日本でも開発されていたし、そのことは新聞記事にもなっていた……。
そして、SF小説は日本人も書いていた。

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だが、やはり実践(実験の結果)がなければ……。
ハイゼンベルグも理解に欠ける部分もあったようだ。

ハーンは嘆く。下「」引用。

「ハイゼンベルクは、科学者が国家に働きかけて一○万人の人間を使ってでも原爆を作るべきであったとドイツ国民なら言いかねないと述べた。そして、アメリカ人と同じような道義的立場をとって、ヒトラーが戦争に勝利すること以外に何も問題はないとドイツ人が自分自身に言い聞かせていたら、実際にはヒトラーには勝ってもらいたくなくても、ドイツは原爆製造に成功したかもしないという気がすると。しかし、ハーンはドイツの敗北がドイツ国家にこんなひどい悲劇をもたらすとは考えていなかったことを認めた……。」








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