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カナダの政治と憲法

2010年07月07日 | 読書日記など
『カナダの政治と憲法』
   ジョン・セイウェル(著)/吉田健正(訳)/三省堂1987年

原書名 Politics,law and the constitution



カナダの成文憲法。下「」引用。

「-略-カナダの成文憲法には、政党のことが言及されていない。またカナダの基本憲法である「英国領北アメリカ法」だけを読むと、君主(またはその代理である総督)が実質的な権限を有するものと解釈してしまうだろう。したがって、われわれは「憲法」という言葉をきわめて広義にの解釈する必要がある。
 「憲法」は、法律や規範だけでなく、成文化されていなくとも、国家権力の分配や、さまざまな国家機関の役割、また個人と国家の関係に関する、すべての憲法慣例や慣習を包含する。「憲法」はまた、常に流動的、動的なものである。成文憲法は変わらなくても、慣習や慣例は社会とともに変化する。」

カナダの首相は……。下「」引用。

「カナダの首相は下院で勝利を得た政党の党首が任命されているが、その首相は日本の首相やアメリカの大統領よりもはるかに大きな権限を行使できるといわれる。それは首相が政党の党首として約四、○○○人の代議員の集まる全国党大会の過半数の支持で選出されるという社会的背景が無視できないであろう。-略-」

カナダの独立達成。下「」引用。

「カナダは一八六七年七月一日、いくつかの英国植民地が合体してドミニオン・オブ・カナダ(日本語名「自治領カナダ」)となった。
 自治領というのは、「他の国の領土でありながら広範な自治権をもつ国家形態」と定義されている。固有の領土をもち、大幅な主権を享有していたカナダには、必ずしもこの定義は当てはまらない。大英帝国に属する自治国家であった、というべきだろう。とはいえ、カナダには長い間さまざまな制約が課されており、厳密な意味で独立国家でなかったのも事実である。
 それではカナダが真に独立を達成したのはいつか。それにはいくつかの説がある。
 まず、自治領諸国の平等を唱った「バルフォア報告」(一九二六年)を受けて、英国議会が原則としてその制定法を自治領諸国に適用しない旨定めた「ウェストミンスター法」を交付した一九三一年説である。だが-略-」

任命制の上院、下院は選挙。

「カナダ連邦の誕生」 下「」引用。

「現在の東部カナダにあったいくつかの英国植民地の代表が集まって、初めて統一を話し合ったのは、一八六四年九月、プリンス・エドワード・アイランドのシャーロットアイランドで開かれた会議である。-略-
 植民地の代表者たちは、一八六六年、ロンドンで英国政府と七二の決議案を基本とする連邦結成構想をつめる。こうしてまとめられた決議案が、英国議会によって「英国領北アメリカ法」に統合され、一八六七年七月一日にカナダ誕生となるのである。」

「議員経験なくても首相に」 下「」引用。

「-略-その好例が一九八四年に首相にの就任したブライアン・マルルーニ氏である。-略-
 カナダ連邦結成以来、これまで一八人が首相になっているが、その前には外務大臣を経験したのはわずか一人、大蔵大臣経験者も一人、法務大臣経験者は四人、という状況を見ても、日本との違いが分かる。カナダで首相になるには、必ずしも政界の権謀術数にたけてなくてもよいが、大衆的な人気がなければならない。党首は選挙の牽引車であり、それに勝つことによってのみ首相の座を射止めることができるのだ。」








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