磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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妖しい楽園-水木しげるができるまで-

2010年06月27日 | 読書日記など
『妖しい楽園-水木しげるができるまで-』
   水木しげる・著/PHPエディターズ・グループ2000年

妖怪の中で……。下「」引用。

「「あかなめ」だ、「雷」だと、毎日、妖怪のなかでくらしているような日々だった。」



グロ物……。下「」引用。

「関西の紙芝居にはグロ物というジャンルがあり、グロテスクで気味の悪い紙芝居だった。その中に鬼太郎は登場するわけだが、貸元の注文は親の因果が子に報いといった、いわゆるグロ物を因果物にまぜたようなものにして欲しかったふうだった。」

鬼太郎のモデルは……。下「」引用。

「-略-ちょうど兄貴の子供が三歳でまかせていたから、これが鬼太郎のモデルにちょうどいいやと思って、多少かわいいような丸顔になって、いくらか描きやすくなった。」

ハプニングで生まれた目玉オヤジ。下「」引用。

「しかも、親父は溶けて死んでしまっているから、生き返せない。苦しまぎれに、目玉に親父の魂が宿ってポケットに入っていたということにしたため親父は常にポケットに入っていなければならなくなったわけだが、そんなことで鬼太郎の親父のアイディアは生まれた。すべてハプニングだった。」

ねずみ男のモデル……。下「」引用。

「ねずみ男は紙芝居時代にもいたが、今のねずみ男はは違っていた。ねずみ男によく似た漫画家がいて、いつも努力しているのだがいつも貧乏していた。-略-」

魚屋勤務……。下「」引用。

「若い私、すなわち二十四、五のころだが、そのころは東京・月島で魚屋をやるはめになり、多忙をきわめていた。
 魚屋が多忙だったわけではない。魚は配給の時「スケソーダラ」を称するまずい魚を週一回配給すれば、それですむことだった。当時は、相模原病院(昔の陸軍病院)の入院患者でもあり、武蔵野美術学校の生徒でもあり、毎朝午前中、パチンコで一日の糧を得るといった、きわめて多忙な毎日で、魚屋のある月島と、学校のある吉祥寺と、病院のある相模原を右往左往していたからである。」

--南方の人たちは、著者のことをパウロと呼んでいたという。聖書が小屋にあったという。
パウロ・ガーデン(畑)をつくったという。むらさきの芋がおいしかったそうだ。

初恋の人は松ちゃん。かぜをこじらせて肺炎で死亡したという。

大阪の「精華美術学院」に入学したという。

二時間畑仕事で暮らす戦時中のラバウル生活。

アイルランドの妖精と日本の妖怪……。下「」引用。

「アイルランドの妖精と日本の妖怪とが、あまりにら似たものが多いので、僕は、妖精と妖怪の比較事典を作りましょう、と提案-略-」







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