『「南」からの国際協力-バングラデシュグラミン銀行の挑戦-』
渡辺龍也・著/岩波書店1997年
この当時で、すでにアメリカでは「グラミン銀行」の真似をしていたようだ……。
クリントンのアーカンソー州で……。下「」引用。
「アメリカのクリントン大統領のお膝元アーカンソー州。かつては一面に綿花が咲き誇り、にぎわいをみせていたアーカンソー州も、いまや全米で二番目に貧しい州となり、ゴーストタウンのような町があちこちに出現している。
そうした町のいくつかに、新しい店やビジネスがオープンし始めている。それは全国チェーン店などではない。町のなかでも貧しいほうに入る人たちが、ビジネスを始めているのである。
裁縫工場がつぶれたために職を失った女性は、中古のミシンを買って手製のドレスを作って売り始めた。別の女性は爪の美容師を始めた。そのほか、ハンバーガーショップ、クリーニング店、ギフトショップ、ケーキ屋、仕出し屋(ケータリング)、中古車販売店など職種はさまざま。
なぜ、そんなことが可能だったのだろうか。
その秘密は、ロックフェラー財団などが資金を出して設立した「グッド・フェイス(誠意)基金」にある。そのスタッフが、さびれた町や村をまわって、何かしらの特技を活かして生活をよくしたいと思っている低所得者層を対象に、無担保で事業資金の貸付けを始めたのである。」
政治屋・キッシンジャーはこう言ったという……。下「」引用。
「アメリカ社会の奥深くで進行すりる貧富の差の拡大。その病をいやす有力な切り札としていま大きな期待がかけられている、この小規模融資システムは、じつはアメリカで生まれたものではない。常に世界の最貧国の筆頭にあげられ、キッシンジャー元米国務長官が「basketcase(自分では何もすることができない無能力者)の見本」とさげすんだ国、バングラデシュから学んだものなのである。」
地域のボス、これを政治屋のボスたち入れ替えれば、日本のことも理解できるのでは? 下「」引用。
「だが、彼らの狙いは小銭を貸して利子を稼ぐことだけではない。借金をかたに貧困層を半永久的に隷属させてタダ同然でこき使い、派閥争いに刈り出してみずからの勢力を拡大することが、彼らの大きな狙いだという。そうやって地域のボスになれば、政府が地域の開発などに提供するさまざまな物資の資金を、自分はもちろんのこと一族郎党のために横流ししたり、弱い農民を追い立てて田畑を奪い取ったり、たとえ殺人といった重罪を犯しても裁判官を買収して罪を逃れたりすることができるというわけだ。貧しい人たちにとって、そうした法を超えた力を持つボスは、生殺与奪の権を持つ専制君主のような存在とすらいえる。」
2006年にノーベル賞をったユヌス教授がはじめた。
1976年、グラミン(農村)銀行プロジェクトがスタートした。
恐怖の館……。下「」引用。
「しかし、貧しい人たちには町の銀行にまで出かけるお金もないし、銀行はその構えと雰囲気からして近寄りがたい“恐怖の館”なのである。」
日本も似たようなものですね。
郵便局まで、あんなふうになるなんて、寒いですね……。
メンバーの出欠に注意を払っているという。下「」引用。
「グラミン銀行はメンバーの出欠に多大な注意を払っている。-略-つまり、誰かが返さなくてもいいならば、自分も帰さなくていいだろうというドミノ式の連鎖反応が起きかねないからである。-略-」
一般の銀行だって同様ですね……。
--ただ、一般の銀行は担保をとってあるので、どうしても儲かるようなシステムになっている……。
あきれるほどに……。
社会事業もおこなっている……。
政治について……。下「」引用。
「バングラデシュで初めて自由な選挙がおこなわれた九一年、ユヌス教授は行動に打って出た。「政治家はみな腐敗している。しかし、そのなかでもいちばんましな政治家を選んで、少しでも政治をよくしてよう」とメンバーに呼びかけたのである。それを受けて各センターでは、政党に関係なく選挙区のなかでいちばんましな候補者を選び出し、当時は「われわれは一致団結して投票する」といったスローガンをとなえながら行進し、投票した。それは、土地なし貧困層を軽んじてはならないことを、政治家たちに印象づけるためのものだった。」
1994年から「グラミン保健プログラム」の独自のプログラムを実験的に開始。
1996年から「グラミン・フォン」……。
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渡辺龍也・著/岩波書店1997年
この当時で、すでにアメリカでは「グラミン銀行」の真似をしていたようだ……。
クリントンのアーカンソー州で……。下「」引用。
「アメリカのクリントン大統領のお膝元アーカンソー州。かつては一面に綿花が咲き誇り、にぎわいをみせていたアーカンソー州も、いまや全米で二番目に貧しい州となり、ゴーストタウンのような町があちこちに出現している。
そうした町のいくつかに、新しい店やビジネスがオープンし始めている。それは全国チェーン店などではない。町のなかでも貧しいほうに入る人たちが、ビジネスを始めているのである。
裁縫工場がつぶれたために職を失った女性は、中古のミシンを買って手製のドレスを作って売り始めた。別の女性は爪の美容師を始めた。そのほか、ハンバーガーショップ、クリーニング店、ギフトショップ、ケーキ屋、仕出し屋(ケータリング)、中古車販売店など職種はさまざま。
なぜ、そんなことが可能だったのだろうか。
その秘密は、ロックフェラー財団などが資金を出して設立した「グッド・フェイス(誠意)基金」にある。そのスタッフが、さびれた町や村をまわって、何かしらの特技を活かして生活をよくしたいと思っている低所得者層を対象に、無担保で事業資金の貸付けを始めたのである。」
政治屋・キッシンジャーはこう言ったという……。下「」引用。
「アメリカ社会の奥深くで進行すりる貧富の差の拡大。その病をいやす有力な切り札としていま大きな期待がかけられている、この小規模融資システムは、じつはアメリカで生まれたものではない。常に世界の最貧国の筆頭にあげられ、キッシンジャー元米国務長官が「basketcase(自分では何もすることができない無能力者)の見本」とさげすんだ国、バングラデシュから学んだものなのである。」
地域のボス、これを政治屋のボスたち入れ替えれば、日本のことも理解できるのでは? 下「」引用。
「だが、彼らの狙いは小銭を貸して利子を稼ぐことだけではない。借金をかたに貧困層を半永久的に隷属させてタダ同然でこき使い、派閥争いに刈り出してみずからの勢力を拡大することが、彼らの大きな狙いだという。そうやって地域のボスになれば、政府が地域の開発などに提供するさまざまな物資の資金を、自分はもちろんのこと一族郎党のために横流ししたり、弱い農民を追い立てて田畑を奪い取ったり、たとえ殺人といった重罪を犯しても裁判官を買収して罪を逃れたりすることができるというわけだ。貧しい人たちにとって、そうした法を超えた力を持つボスは、生殺与奪の権を持つ専制君主のような存在とすらいえる。」
2006年にノーベル賞をったユヌス教授がはじめた。
1976年、グラミン(農村)銀行プロジェクトがスタートした。
恐怖の館……。下「」引用。
「しかし、貧しい人たちには町の銀行にまで出かけるお金もないし、銀行はその構えと雰囲気からして近寄りがたい“恐怖の館”なのである。」
日本も似たようなものですね。
郵便局まで、あんなふうになるなんて、寒いですね……。
メンバーの出欠に注意を払っているという。下「」引用。
「グラミン銀行はメンバーの出欠に多大な注意を払っている。-略-つまり、誰かが返さなくてもいいならば、自分も帰さなくていいだろうというドミノ式の連鎖反応が起きかねないからである。-略-」
一般の銀行だって同様ですね……。
--ただ、一般の銀行は担保をとってあるので、どうしても儲かるようなシステムになっている……。
あきれるほどに……。
社会事業もおこなっている……。
政治について……。下「」引用。
「バングラデシュで初めて自由な選挙がおこなわれた九一年、ユヌス教授は行動に打って出た。「政治家はみな腐敗している。しかし、そのなかでもいちばんましな政治家を選んで、少しでも政治をよくしてよう」とメンバーに呼びかけたのである。それを受けて各センターでは、政党に関係なく選挙区のなかでいちばんましな候補者を選び出し、当時は「われわれは一致団結して投票する」といったスローガンをとなえながら行進し、投票した。それは、土地なし貧困層を軽んじてはならないことを、政治家たちに印象づけるためのものだった。」
1994年から「グラミン保健プログラム」の独自のプログラムを実験的に開始。
1996年から「グラミン・フォン」……。
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