磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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櫻隊全滅 ある劇団の原爆殉難記

2006年07月21日 | 読書日記など
『櫻隊全滅 ある劇団の原爆殉難記』
   江津萩枝・著/未来社1980年

戦時となれば、役者さんたちの生活もやはり
戦時の影響を受けたようです。




目黒区天恩山羅漢寺境内に移動劇団櫻隊の記念碑には「移動演劇 さくら隊 原爆殉難碑 徳川夢声」と、夢声の筆蹟で刻まれていいるという。

羅漢寺を調べてみると、ずいぶん本が書かれた時とは変っているのではないでしょうか?

広島の碑もあるという。


この著者は「桜隊」のことを調べようと、朝日新聞に投書されたようです。

「原爆小文庫」をつくろうとされたときも、朝日新聞の投書からでしたね。


国民義勇兵法がつくられたころには、役者さんたちにも戦争の影響がおおきくあったようです。

疎開常駐配置というものがあったそうです。下「」引用。

「このような状況に対する策として、日本移動演劇聯盟は、所属劇団の「劇団ごと地方疎開」を計画し決行しました。
 都市中心の舞台活動は実際上不可能だし、俳優たちも東京に本拠をおくことの危険と、聯盟所属の専属、加盟、準専属の劇団ごと疎開常駐配置を、次のように完了しています。」

「文学座」は石川県、「吉本隊」は仙台市、そして「桜隊」は広島市であったようです。

広島市に行かれて、ラジオドラマに出演されたという。ドラマのタイトルは『戦果は薯から』。

当日の記述もくわしくありました。書き出し部分。同。

「移動劇団桜隊の隊員九名は、この朝、市内堀川町九十九番地、高野氏邸内、移動演劇聯盟中国出張所事務所兼寮に居て被爆しました。
 爆心から東方約七五○メートルの地点に当たります。徒歩で一○分くらいの距離でしょうか。広島市屈指の大きな建物である福屋百貨店の横を南に入ったすぐの所です。」

爆心地からすごく近いところで、被爆されたようです。

仲みどりは、「原子爆弾病」と診断された一号といわれます。
それは東大の都築博士が診断。

仲みどりは、シーツあるいは毛布で被爆二日後に、電車にのり、東京の我が家へ。


しばらくしてから、「無法松の一生」に出演した園井は宝塚歌劇団出身で、宝塚方面(六甲山麓、中井家)へ。

仲みどりは、自宅にかえり約1週間こもっていたという。
そして、自力で東大病院へ入院したいと家を出る。
運良く、東大関係者に声をかけてもらい入院。8月24日、死亡。

東京帝国大学では、仲みどりの死とその「剖検」を経験したあと、都築博士を団長とする「東京大学調査団」を組織し、一週間の予定で、8月29日に被災地広島に。

「朝日新聞」に、「医学も揺らぐ原子爆弾の惨」という記事がのり、仲みどりのことが書かれていたという。

それはまだ、進駐軍がきてないころで、プレスコードはひかれていなかった時のこと。

石碑の文字が「さくら」となっているが、本当は「桜」だそうです。同。

「被爆後一周年の昭和二一年八月六日に、日劇小劇場で殉難隊員たちの知友や連絡のついた遺族らが集まって、「桜隊犠牲者追悼会」を催した時、占領下の警察署から干渉をうけした。それは「桜隊」という隊名が、軍隊か右翼関係のものと誤解されたためでした。」





【映画】さくら隊散る




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