磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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長崎の証言 第7集

2008年01月17日 | 読書日記など
『長崎の証言第7集』
   長崎の証言刊行委員会・編/
     長崎の証言刊行委員会1975年

永井隆博士の記録が、貴重であると書かれてありました。同じように救護されていた人の文章です。



--永井博士の貴重な記録であることが書かれてあります。下「」引用。

「最初の佐世保海軍鎮守府から命令として、「いつ敵軍が上陸してくるかわからない。したがって利敵行為になるような行動や記録は一切残さないように」とのことでしたので、私達第一次海軍派遣救護隊の治療状況や患者氏名、カルテ等一片も残っておりません。これは、勝山小学校における陸軍の派遣救護隊も全く同様な命令だったとか聞きました。被爆二十五年目に発見されたあの永井博士ら「第十一医療隊」の方々が書き残されていた貴重な記録、これは大学人としての自発的良心よりみずから発した記録だったと思います。大村や嬉野海軍病院での記録は、おそらくずっと後のものと思います。」『すべてが死、すべてが破滅-佐世保海軍第一次救護隊の記録-』見明健治(佐世保海軍病院より救護隊を編成し、長崎に入る)・著より。


長崎医大原子爆弾救護報告

また、医大生が救護されたことも書かれてあります。下「」引用。

「もうホントに地獄だった。それからしばらくして、医大生が長崎大学病院に収容されていた長崎陸軍の患者さんたちを背負って山を登ってきたとです。自分の命をも顧みず、患者を助けようという心意気に感動した。また、学生さんたちはみんなを元気づけようと効果を歌ってくれたのだった。それが私は非常に印象に残っているとです。」

『原爆から原発へ-わが子へ語るセミナー・レポート-』今田好彦(東京・原爆体験を伝える会)・著では、高木のことも書かれてありました。下「」引用。

「市川定夫さん、高木仁三郎さんらは専門の立場から、政府がいう安全基準や許容量がいかに危険であるかを説いてくれた。」

もくじ


『被爆三世・浅山健ちゃんの死』という文章もありました。
これも、直接の証拠はないが、被爆者や二世の不安は大きいという。

『空襲と原爆で二重被爆』姜桂浩(かんけいこう)・語り手。
調教授のことが書かれてありました。下「」引用。

「四月二十四日の空爆で造船所がやられ、私も爆弾の破片で股(もも)のところを深くえぐられ、満足に立てんようになってしまい、長崎大学附属病院の調外科にかつぎこまれました。あの調(しらべ)先生はお元気ですか。おお、生命(いのち)の恩人、私の助けの神さんですよ。(調査団の日高君がさしだした新聞記事の切抜きにのっている調来助先生の写真に感きわまって絶句される。)ほかの医者が手をつけきらんとを、調先生のお陰で助かったとです。」








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