磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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反核シスター-ロザリー・バーテルの軌跡-

2012年05月09日 | 読書日記など
『反核シスター-ロザリー・バーテルの軌跡-』
   メアリー=ルイーズ・エンゲルス(著)/
     中川慶子(訳)/緑風2008年

原書名 Rosalie Bertell
帯に……。下「」引用。

「地球を大切に思う人々の鎖の一部になるために!」



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「修道女であり、ガン研究・疫学者でもあり、反核平和運動家としてライト・ライブリフッド賞など数々の書を受賞、世界的に知られるロザリー・バーテルの半生を描いた書。原子力発電所や核施設周辺、ネバダやマーシャル諸島などの核実験場の放射能汚染が、白血病などのガンの多発、低体重児出産の増加など引き起こしていることを、疫学的研究から証明。そうした専門家としての発言で、研究所を追われ、国や企業に妨害されながらも、核の危険性を説いて回り、真摯に核の脅威に立ち向かう姿は、少数民族や第三世界の人々をも揺り動かしてきた。「地球を大切に思う人々の鎖が地球を取り巻くように」と願うロザリーの生き方は、読む人の心に感動を呼び起こす。」

ロザリーの愛してやまない日本! 下「」引用。

「日本の読者のみなさまへ
 日本語版のり『反核シスター--ロザリー・バーテルの軌跡』に「まえがき」を書かせていただくのはとても光栄です。ロザリーの愛してやまいな日本り、その日本の読者に首尾よく本書を提供してくださることになった翻訳者、出版社に心からおめでとうと申しあげます。
 十代のロザリーがもっともショックを受けた経験は一九四五年に日本に原爆が投下されたというニュースを聞いたこと、そして母親が即座に「あんなことをしてはいけない、するべきじゃなかったのよ」とつぶやいたのを聞いたことでした。
 後にロザリーはガンの研究者となり、放射線の危険な影響を研究して核産業から攻撃され、身の危険にさらされるようになりました。世界をまたに掛けて講演活動をするなかで、ロザリーは何度か日本を訪れています。
 一九七八年に原水禁主催の第三三回原水爆禁止世界大会に招待されたことを、彼女はとても光栄に感じました。後々ロザリーは、いつまでも心に残っているのは、被爆者の家にホームスティして、話を聞いたこと、そしてその話をけっして忘れまいと心に決めたことだと回想しています。健康に恵まれず、いろいな困難や激しい反対にあったにもかかわらず、ロザリーは、放射線はどんなレベルでも生き物に対して安全ではないとのメッセージを発信し続けました。-略-
 他の国よりも核産業の被害に苦しめられてきた日本こそ、この傑出した女性の人生と言葉がいつまでも人々の気持ちを動かして、「地球を大切に思う人々の鎖」の一部になりたいと誘ってくれることでしょう。
 二○○八年二月二八日
メアリー=ルイーズ・エンゲルス 」


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どの段階でも危険。下「」引用。

「ロザリーが一貫して主張してきたのは、民間の核産業が核兵器の開発と密接不可分に結びついていること、採掘や砕石から製造にいたるまで、この産業は生産のどの段階においても危険だということ、そして廃棄物が地球とその上に住む者たちに長く続く毒の遺産を残すということです。」

ICRPの歴史。下「」引用。

「戦後の歴史を通じてICRPのメンバーは主として軍や放射線医学会と関係しており、放射線量利用を促進し、そのリスクを軽視するものに利益を与えた。委員会を批判する急先鋒となったロザリーは、後に、委員会は「まさに軍から生まれ出た自己保存にのための委員会で、……あらゆる意味において、閉鎖的なクラブであって、独立した科学者の組織ではない」と書いている。カール・モーガン博士はICRPの設立メンバーだったが、ロザリーと同意見で、特定の利益集団にの有利な組織的な偏りが存在し、利益の衝突は規制値を設定するにあたって避けられない要素だとして、「ICRPは命を預けられるほど信頼できる組織だとは言えない」と述べている。」

ゴフマンとタンブリンのことも書かれてありました。

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カナダの原発輸出。下「」引用。

「一九五○年代末にインドとパキスタンがカナダ国外ではじめてCANDU型原子炉を設置した。-略-
 一九七四年にのはインドがカナダから供給された原子炉から抽出した兵器級プルトニウムを使って最初の原子爆弾を爆発させた。カナダは契約を宙ぶらりんにしたままインドとの原子力協定を中止した。-略-」

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子ども……。下「」引用。

「ロザリーは講演や書き物で、他のグループよりも子どもが何よりも放射線やその他の有害物質に過敏であることを一貫して警告してきた。一九八○年代を通じてロザリーは子どもの健康に与える環境の影響について数多くの調査を実施した。トロントではスカーバラ郊外の放射能調査で、まず疑いの余地のない結果を出した。」

チェルノブイリ……。下「」引用。

「ロザリーは爆発の直後にキエフ入りし、ソ連の科学者と協力して、公式のり被害評価と独立系研究者--その後逮捕などによって黙らされた人たちもいた--の被害調査との食い違いを調べようとした。そして、一九九一年に再び、トロントのロータリークラブとともにキエフを訪れた。同伴したのはトロント大学の医師と「チェルノブイリの子ども・カナダ基金」の代表で、協力できる適切な医療機関を探し、後に医療機器を贈った。
 一九九六年、永久人民法廷の他の会合でロザリーはチェルノブイリに関する国際医療委員会の長に選任された。この委員会は「社会的責任を果たすための医師団(PSR)」と「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」がスポンサーになっており、チェルノブイリの惨事の結果を調査するために国際的な四○人の証人を招集した。
 ロザリー自信の証言はキエフの人たちの集会に参加して、爆発後に除染するため雇われた消防士の話を聞きました。約六○万人がチェルノブイリ『除染作業員』として召集されました。素手で放射性の金属をつかみ、……三○○以上の消火をして、……トラック・消防車・自動車を埋め、森の木々を倒して表土を除去しました。」--除染作業員のうち二三七人が病院に運ばれ、三二人が死亡した。他の人たちは名の登録もなけば、その後の健康チェックもない。みんな帰郷し、そして多くの人が死んでいった。」

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「劣化ウラン--廃棄物から武器へ」 下「」引用。

「しかしロザリーは、使命感に駆られ、また劣化ウラン(DU)のような地球の存在にたいする新たな脅威に立ち向かうために、さらに多くの講演をし、新たなプロジェクトにとりかかった。-略-」

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