磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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白い虹

2007年12月30日 | 読書日記など
『白い虹』
   川島義高・著/学習研究社1995年

森鴎外記念第五回北九州市 自分史文学賞 大賞受賞作品。



当時の状況が簡潔に書かれてあり、そこに興味を持ちました。

--1942年2月25日、シンガポール陥落。
その年の夏、原爆ドームの前の産業奨励館で、戦勝を祝う絵画展。
シンガポール陥落”、無条件降伏をためらうパーシバル将軍は痩せ、威風堂々とした山下将軍。
この絵は新聞や雑誌にも掲載され、日本中は熱狂。

そのような絵を観賞するのが教育だった……。下「」引用。

「絵画展を観賞するため、学校では午後の授業が打ち切られた。」

原爆ドームの下に、地下室があったと書かれてありました。

--アメリカ軍がまいたビラをこっそり読んだという。
米国大統領の名前はトルーマンだが、ツルーマンと書かれてあったという。
新たな兵器のことを予告し、市内から退去しなさいと書いてあったという。

『長崎の鐘』や『ヒロシマ』に出演した月丘夢路さんのことも書かれてありました。下「」引用。

「そこが幼稚園の庭だった。“お人形幼稚園”は“お人形舞踊所”も兼ねていて、日曜日には、小さな女の子や娘たちが、日本舞踊を習いにやって来た。女学生だった頃の女優の月丘夢路も通っていた。」


紙芝居も、時代によって、内容がかわっていったという。下「」引用。

「戦局が激化するにつれて、紙芝居の演題は、“黄金バット”“怪人二十面相”から“ハワイ・マレー沖海戦”や、“加藤準戦闘隊”に変わっていった。その頃になると、私の紙芝居に対する興味は、何となく薄れていった。」


このようなことが書かれてあります。下「」引用。

「平和公園は、桜の花が満開だった。
 そのあたりは、原爆で街が廃墟になったとき、数え切れないほどの多くの遺体を、荼毘に付したところだった。桜の樹は、その人たちから、花を咲かせるエネルギーを吸い取ったのだろうか。霞か、雲のような、膨大な開花の桜花の群れだった。」

ボクは修学旅行で広島に行ったけれど、先生からは京都市内の方がもっとたくさん人は殺されたという。
--それが京都の歴史ですね。

第二次世界大戦での空襲の被害は大きくはなかったけど、歴史全体でいけば、日本で1番の戦地は京都だったという……。

しかし、原爆は種類が大きく違う……。近代の殺戮兵器、そしてそれを使う人たちは驚くべきものであると思う…… 。








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