磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【絵本】もりのおんがく 講談社の創作絵本

2011年03月04日 | 読書日記など
『もりのおんがく 講談社の創作絵本』
   谷内こうた・絵文/講談社2008年

こんな森あるのでしようかね?
オーケストラの人たち……。
あったら、たのしいかもね?



グランド・ピアノを運搬するのは、大変なことだったでしょうね……。

森の音楽なら、小鳥たちの声もあってほしかった気が、ボクにはする……。








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生物戦部隊731-アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪-

2011年03月04日 | 読書日記など
『生物戦部隊731-アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪-』
   西里扶甬子・著/草の根出版会2002年

自殺者が三人……。
二人は東大の助教授……そしてもう一人は不自然な自殺=細菌戦捜査官。

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「本書の目的」 下「」引用。

「本書の目的は、いまの目線でこの残虐な戦争犯罪を見ることだ。日本医学界・科学界の選りすぐりの頭脳が集まって何をやったのか。彼らはなぜ他の一○○○人に及ぶABC級戦犯と同じように処刑されるこしとなく、私たちの町や村で「尊敬」される市民として暮らしているのか。なぜ医療や行政、教育などの中枢で支配的な立場を守っていられたのか。彼らは血で汚れた手を洗うこともなく、そ知らぬ顔で天寿をまっとうしようとしていた。反省することのなかった彼らは、敗戦で一新されたはずの医学界や教育界、医療や薬事行政を、見かけはともかくも、内実において旧態依然たるものにしてしまった。その延長の上に私たちの現在がある。」

北海道、毒ガス弾投棄。下「」引用。

「戦後五○年目の一九九五(平成七)年には、北海道の屈斜路湖底に毒ガスが投棄されていたことが発覚した。終戦後、軍の命令でいわば証拠隠滅のための無謀な投棄作業に駆り出された、八八歳になる民間人が、実名を名乗って勇気を奮い立たせて証言したのに対して、投棄を指示した七五歳の元陸軍下士官は「これ以上身辺を騒がせたくない」という理由で、住所や名前を公表することを断った。-略-」

別件もあった。下「」引用。

「そして一九九六(平成八)年一○月、陸上自衛隊の特殊潜水部隊が二六個の毒ガス弾を引き上げたが、住民の証言とは一致せず、別件の毒ガス弾投棄の事実があったことが、市民グループ「知床の歴史を語る会」(代表・森亮一)の調べで分かった。それは、海軍航空隊廠美幌分工場の補給班が、四トントラック八台で、屈斜路湖に捨てた毒ガス弾だった。」

ABCCに……。下「」引用。

「また、細菌戦研究の中核を担う人材の重要な供給元であった東京帝大伝染病研究所の一部を、厚生省の傘下の国立予防衛生研究所として独立させさせ、多くの元細菌戦部隊の医学者たちを重要なポストにすえた。そしてここで、アメリカ軍のための生物戦研究を続けさせたばかりか、広島・長崎にできた被爆者の追跡調査機関、原爆後障害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission=ABCC)を、アメリカ軍と合同で運営させた。」

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慶応所蔵……。下「」引用。

「-略-『季刊 戦争責任研究』第13号(一九九六年秋号)には、松村高夫慶応義塾大学教授が、私が未発見、処分された模様とした原文が、実は慶応義塾大学図書に所蔵されているとして、「七三一部隊と奉天俘虜収容所」と題した論文(以下「松村論文」とする)のなかで紹介している。-略-」

東大、自殺。下「」引用。

「(9)東大伝染病研究所(No.1117)は、戦後の日本医学界の重鎮小島三郎を含む四人の細菌学者について、捕虜に対する残虐行為の疑いがあるとして、経歴などの調査を行っている。そのうち、芦田テルゾウ助教授の服毒自殺(一九四五年六月七日)と、岡本助教授のガス自殺(一九四五年九月二日)については、短い死亡確認書を示して、調査終了としている。二人の死で真相が分からなくなったということなのか、その他の調査内容は極秘のままなのか、この文書を見たかぎりではよく分からない。-略-」

細菌戦部隊と自殺した二人の医学者』に詳しい……。

「細菌捜査官 ムリー・サンダース」
--内藤良一軍医中佐の大嘘を信じてしまったという。

「マッカーサーは細菌戦と人体実験を終戦前から知っていた」

ノウハウについて知りたがったマッカーサーは、日本に降り立つ以前から強い関心をもっていたという。

「自殺した二代目細菌戦捜査官 アーヴォ・トンプソン(獣医中佐)」下「」引用。

「グレッグJr.はトンプソンの自殺について次ぎのような考えを持っている。
 私はトンプソンが獣医であり、獣疫を使う細菌戦部隊である一○○部隊に目を向けていたことに、注目しています。白人捕虜に対して馬鼻疽菌を使った実験が行われ、その結果彼らは命を落としているわけです。私は彼のような地位にある人物が、なぜ記録も残さず自殺をしたのか理解できません。離婚などの家庭の問題があったとは聞いていますが、それは直接の原因とは思えません。いろいろなことを知りすぎて、死ぬほかないと思ったのかもしれません。」

これで自殺? 下「」引用。

「私はトンプソンの「自殺」の死因についての記録があることを最近知った。『スターズ&ストライブス』紙の一九五一年五月一八日に、「医療部隊将校の遺体がみつかる」という小さな記事が載っている。この第一ホテルの自室で発見された、トンプソンとおぼしき将校の遺体は、額の真ん中が撃ち抜かれ、自分の四五口径アーミー・ピストルの上に倒れ込んでいたという。下山事件、松川事件など、進駐軍絡みの謀略が渦巻いていた当時の日本では何が起きても不思議ではなかった。」

「アメリカ軍情報部極秘「石井ファイル」発見」
--偽装葬儀。下「」引用。

「偽装葬式について石井春海は一笑に付した。春海も若松町にいたわけで、千葉で誰が何をやっているのか、知る立場にはなかった。空のお棺を使えば偽装葬儀は難しくない。「石井隠し」を画策する誰かが仕組んだことかもしれない。この情報を入手したのは80-11号という諜報員で、文末の「六段階での評価欄」には、情報源の信頼度は「B」(通常信頼できる)、情報の確度は「3」(おそらく真実)となっている。」

「背陰河の「東郷部隊」貴重な証言者 栗原芳雄」

「少年隊は生体解剖や人体実験の補助要員 篠塚良雄証言」

「七三一部隊のパイロット松本正一証言」






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福祉の町ベーテル-ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語-

2011年03月04日 | 読書日記など
『福祉の町ベーテル-ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語-』
   橋本孝・著/五月書房2006年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「福祉の原点ここにあり
ナチスの安楽死政策にも屈せず、愛と信念を貫いた「神の家(ベーテル)」の130年間。ここには塀もなければ格子もない。見張り番もいない。ベーテルは自由に出入りできる開かれた町である。その「本当の福祉」の精神は、今や世界中に広がっている。」



表紙の裏「ベーテルの奉仕の精神ここにあり」 下「」引用。

「アメリカの鉄鋼王カーネギーから100万ドルもの寄附の申し出があった。……のどから手がでるほどのお金であった。……丁重にお断りした。……ベーテルはみんなの力で支えて貰わなくてはならない。たとえ小額でもひとりでも多くの人たちの支えが必要だから。」

ベーテル(ヘブライ語)=「神の家」(日本語)

1873年、新しい建物「ベーテルの家」 下「」引用。

「それはしばしば発作を起こす患者、すなわちてんかんの患者の福祉施設であった。しかし、ボーデルシュヴィングは、施設にちなんで、やがて施設全体を「ベーテル」と命名する。オランダをはじめアメリカでもすべての社会福祉施設はベーテルに学び、造られていった。後に、このベーテルという名前は全世界の社会奉仕活動を象徴する名称となる。」

留岡幸助ベーテル訪問。
留岡の日記。「祈れ、働け!」。下「」引用。

「ベーテル院には「祈れ、働け!(Bete und Arbeite!)」という言葉がありむ、自立できるように、皆がそれぞれ自分にあった職を身につけるための訓練所があるのだ。彼の日記には、例えば浴場館、肉類販売棺、煉瓦工場、病院などの仕事場が紹介され、今は、その浴場館はないが、すでに二千五百六十四種類の仕事が出来るようになっている。」

三等級の入院費用(留岡幸助の日記)
一等 年間2000マルク
二等 1200マルク
三等 400~600(慈善で、両親が払えない場合は市町村)。

T4作戦」 下「」引用。

「一九四一年公式にの「T四作戦」実施通達が発せられる。このT四という名称はベルリンのティアーガルテン(Tiegarten)四番地の省略で、ここからこの通達が出されたのだ。」

ナチの医師視察団、ベーテルへ。下「」引用。

「一九四一年二月、ベルリンから十八名の医師、十八名の女性秘書、十八台のタイプライターを備えたナチの医師視察団がベーテルにやって来た。患者を一人ひとり、働く能力があるかどうかをチェックするためである。一行はすくざま管理事務所や奉仕業務の建物の中へ押し入り、力ずくで患者の種類を奪い、死に値すると判断した患者を記録していった。-略-」

カール・ブラント教授もその中に……。下「」引用。

「ブラント教授というのは、以前は炭鉱の医者で、その頃ナチ党の運動に参加し、ヒトラーの信頼を得、彼の侍医となり、保健衛生局のライヒの委員長に任命されていた。もちろんフリッツはこの教授へ手紙を出したり、直接話をしたりしていた。」

ゲーリングにも手紙を送ったフリッツ。

安楽死を説くブラント教授。

フリッツはブラント教授に話した。下「」引用。

「この世の中には、生きるに値しない人とか、社会に不適応な人はおりません。神は決してそのような人間をお創りにはなりませんでした。国家にとって有用か、国家の目的に合うかの問題は人間個性の尺度にはそぐわないのです。-略-」

クリスチャンというのは聖書を読まないのだろうか? イエスがこの世から去るとき、イエスは弟子たちに、どのような人たちを主と思い生きてゆけといわれたのだろうか?

空襲……。下「」引用。

「十一回もの空襲がベーテルにあった。一九四五年一月二十九日の空襲は最も激しいものであった。一夜にして、九○○名の患者の家や寮が破壊された。死者も出た。後に偶然、当時ベーテルの空爆を行ったアメリカ兵だった人が、当時は曇っていて、ビーレフェルトの町がよく見えず、ベーテルに爆弾を投下したという。それにしてもベーテルは大きく破壊された。-略-」

「1993年天皇皇后両陛下のベーテル訪問」の写真があった。

ベーテルにつくられた日本庭園の写真も……。








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