磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

【絵本】はなび

2010年06月28日 | 読書日記など
『はなび』
   秋山とも子・作/教育画劇2003年

図書館の説明文。下「」引用。

「街の人たちの一番の楽しみは、お祭りで自分の花火を上げることです。上がれ、上がれ、みんなの花火。花火が出来上がって、上がるまでを克明に描いた絵本。」



花火をつくっているところもえがかれてありますよ。

ちょっと昔の花火大会ですね。

このころのほうがよかったとボクは思いますがね……。

うしろのほうでこう書かれてあります。下「」引用。

「この絵本をつくるにあたり、新潟県 小千谷市 片貝町の「片貝煙火工業」のみなさま、そしてたくさんの片貝町のみなさんに大変にお世話になりましたことを心から感謝をいたします。-略-」





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【絵本】なつはぐんぐん

2010年06月28日 | 読書日記など
『なつはぐんぐん おひさまのほん 五味太郎・きせつのえほん』
   五味太郎・作/小学館2005年

図書館の説明文。下「」引用。

「どこかで夏の音 ぐんぐん ぐんぐん。お花がぐんぐん。まめのきぐんぐん。白いくも ぐんぐん ぐんぐん。おひさま ぐんぐん ぐんぐん…。夏、満喫絵本。」



たのしいふりだけなんて、つまらないとボクは思うんですがね……。

いろいろな苦難があって、それをのりこえてこそ、たのしいとボクは思うのですが……。

ぜんぜん、のりこえないボクがいますね……。










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「日の丸・君が代」を超えて 岩波ブックレット No.488

2010年06月28日 | 読書日記など
『「日の丸・君が代」を超えて 岩波ブックレット No.488』
   石田英敬、他・編/岩波書店1999年

法制化してないから嘘つきで、法制化されると強制はいけない……。
イデオロギー・ゲームをしている人たちは、こんな矛盾も恥ずかしくないんだろうなあー。
それで学者や教育者をやっているのか?
人道や人権、国民(市民)の生活について考えてほしいものである……。



「象徴天皇制」の装置……。下「」引用。

「日本の近代国家は、天皇制という象徴権力を造り出すことによって国民の統合をおこなった。そのとき国民国家のなかに人々を呼び込むための中心的な象徴装置の役割をになったのが、日の丸、君が代、御真影、教育勅語といった明治国家によって創り出された記号だった。皇室や、元号や皇紀、国家神道などの近代的「伝統」が、ナショナリズム研究者のいう〈近代の文法〉にもとづいて創出され、国民国家の象徴的礎石が置かれると、明治国家は、軍隊や公教育を通して〈国民〉の身体を組織し、日の丸や君が代や、軍人勅諭や教育勅語を、国民に叩きこみ「臣民」化することで、大日本帝国という「想像の共同体」を立ち上げたのである。その天皇制の象徴体系は、〈戦後〉は文字どおり、「象徴天皇制」として持ち越されたのち、「建国の日」などの天皇制の祝祭日の復活や「元号」法制化による復古をへて、いま再び日本国家の記号の体系として息を吹き返し、二一世紀の〈国民の空間〉を囲い込もうとしている。」

学校で教えられる……。下「」引用。

「しかし、学校がなければ、子供は自然に「君が代」を覚えはしない。「日の丸」の小旗を作りはしない。自然のなかには、学校も、国旗も、国歌もない。」

在日朝鮮人は、歌わされることが苦痛だという。

むしろ戦後……。下「」引用。

「自由作文が戦前から「国民」教育の重要な一環だったこと、それに対し、「日の丸・君が代」が学校でワンセットで強制されるようになったのはむしろ戦後であることを、近年私は知った。」

文部省の嘘……。下「」引用。

「つまり、「君が代」は、文部省の行政命令によって、学校現場の儀式に一方的に押しつけられ、一切の根拠が存在しないにもかかわらず、あたかも国歌であるかのように装われてきた歌なのである。それは、この国の近代において、「真実」を教えるはずの教育の現場で、そこに行政責任を負うはずの文部省がつきつづけてきた嘘の歴史そのものなのだ。-略-
 文部省が嘘をつきつづける構造は、敗戦後の教育現場においても変わらず、「日の丸」と「君が代」は、アジアを中心としながら侵略戦争を天皇の名において遂行した時期と敗戦後を連結させる記号として、学習指導要領によって強制されつづけてきたのである。」

反対した知識人など。下「」引用。

「今回の「日の丸・君が代法制化」に対しては、多くの知識人が反対の声をあげた。反対運動には「文化を研究する者」として国外、国内の多くの大学生、大学院生が名を連ねた。-略-」

「野党の消滅」 下「」引用。

「創価学会という安定した支持基盤を持つ公明でさえ、野党として党の維持することのコストの大きさに耐えかねて、自民党との連立を選んだと見ることが出来る。」

歌いにくいのはお雇い外国人に命じたから。下「」引用。

「誰もが知らないでいたこの古歌を、一九世紀の後半に新政権が取り上げ、お雇い外国人に旋律を付けるように命じた。音楽としての「君が代」がひどく歌いにくいのは、それが民衆の間で生じた自然発生的なものではなく、日本語をまったく解しなかった西洋人がこれに深く関わったからである。低く陰気な調子で、いかにも厳粛さを装う雰囲気で始められた旋律が突然に高音に移り。一瞬ではあるがファナチックな熱狂をかき立てる。この信じがたい変調は日本語の朗誦として不自然であり、事実ひどく歌いにくい。だが、その不自然さがいっそう恍惚とした興奮を際立たせることになる。曲はそれからふたたびゆっくりとした調子に戻り、余韻を残して終わる。だが耳の底にはいつまでもあの不意の昂揚が残っていて、不気味な印象を残すことになる。それが国家というものがもつ神聖な威厳なのだと、日本人は長いあいだ、教えられてきた。」

『イマジン』を国歌に? 下「」引用。

「ジョン・レノンの『イマジン』を国歌にせよという、映像作家の原将人の意見が論破できないのは、そもそも「君が代」にしてからが日本人の手になるものではないからである。」






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「戦争経験」の戦後史-語られた体験/証言/記憶-

2010年06月28日 | 読書日記など
『「戦争経験」の戦後史-語られた体験/証言/記憶-』
   成田竜一・著/岩波書店2010年

全般的なことを短く的確に、把握されているように思えました……。
ボクの知らないところもあり、理解できないところもありました……。



帯に書かれてあります。下「」引用。

「戦争とどう向き合い、受けとめるか--
戦後、人々は直接的な体験の有無にかかわらず、
戦争との距離をはかることによって自らのアイデンティティを確認し、
主体を形成してきた。
敗戦からの時間の経過にともない、また社会状況に応じても変容してゆく
戦争についての語りの特徴を変遷をたどりながら、
戦後日本社会の特質に迫る。」

「つくる会」について。下「」引用。

「歴史修正主義もまた、あらたな形で立ち現れてくる。一九九六年の暮れに「「新しい歴史教科書」をつくる会」が発足した。「つくる会」は、多様な寄り合い所帯であり、古典的なナショナリストとグローバリズムへの意識を敏感に持つあたらしいタイプのナショナリスト、構成主義的論者と実証的・本質主義的な論者たちの集合体であった(のち、組織として分裂する)。かつての皇国史観とは異なる次元での歴史修正主義が、二○世紀には起こってくる。そして、「つくる会」は「従軍慰安婦」に関する記述を中学校の歴史教科書に載せることへの声高な批判を皮切りに、「大東亜戦争」という用語を教科書に持ち込んでいった。」

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「1 書き換えられる「戦記」」 下「」引用。

「戦記の定義はさまざまに可能であるが、そのひとつとして、「書き換えられる」という特徴を挙げうるほどに、戦記には書き換えがともなう。
 現在では小説に分類される吉田満「戦艦大和ノ最期」のばあい、最初の稿は、復員後の一九四五年九月に-略-
 このかんの過程でも、絶えず書き換えがあったことを千早耿一郎が記しており、さらに一九七四年に「決定版」(『戦艦大和ノ最期』北洋社)が刊行されるに至る。千早は、「戦艦大和ノ最期」に八つの版を指摘し、その異動を詳細に検討しているが、外的な制約、内的な要因によって戦記が書き換えられていく、ひとつの典型を吉田「戦艦大和ノ最期」は示している。」

β型の書き換え……。下「」引用。

「β型では、直接の戦争体験を綴るのではなく、関心に応じて調査し、報告するという体裁のものが圧倒的である。これまでの戦争像に対し批判をもち、あらたな対象を通じてその書き換えを図り、文脈の書き換えにいたることとなる。」

曾野、阿川の書き換え。下「」引用。

「これまでの文脈を無化し、修正するβ-I型の書き換えの礼としては、阿川弘之の海軍もの(『山本五十六』新潮社、一九六五年[審判、一九六九年]、『米内光政』新潮社、一九七八年)をはじめ、山本七平の日本軍もの(『私の中の日本軍』上下、文藝春秋、一九七五年。『一下級将校の見た帝国陸軍』朝日新聞社、一九八四年』や、曾野綾子の沖縄もの(『切りとられた時間』中央公論社、一九七一年。『生贄の島』講談社、一九七○年。『ある神話の背景』文藝春秋、一九七三年)がある。」

上坂冬子、角田房子の書き換えもβ-I型だという。下「」引用。

「また、上坂冬子の「戦犯」ものと被害者もの(『巣鴨プリズン一三号鉄扉』新潮社、一九八一年。『生体解剖』毎日新聞社、一九七九年。『慶州ナザレ園』中央公論社、一九八二年、『奄美の原爆乙女』中央公論社、一九八七年)と自伝『私の人生 私の昭和史』(集英社、二○○四年)、さらに、角野房子の将軍もの(本間雅晴を描いた『いっさい夢にござ候』中央公論社、一九七二年、阿南惟幾を描いた『一死、大罪を謝す』新潮社、一九八○年、『責任 ラバウルの将軍今村均』新潮社、一九八四年)などがその例として挙げられる。」

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曾野、阿川の書き換え。下「」引用。

「阿川、曾野らは「戦時」の主調音には批判的だが、「戦後」の論調にも同意しない。彼らの書き換えは、戦争指導者たちの家族を「無垢」なものとしたうえで、「私」の領域で細やかな配慮を示す戦争指導者たちを紹介し、その真摯な態度、毅然とした姿勢、そして周囲のひとたちからの人望のあつさを描き出す。また、動員されたあげくBC級戦犯とされたものたちの側から、主体的に選び取ったのではない不幸--戦争のもたらす矛盾を提示し、個人の次元における戦争責任を不問にする論を提出した。
 阿川、曾野らは、(暴走した)陸軍に対して海軍、(平和を乱した)A級戦犯に対してBC級戦犯の存在を対置し、その観点からこれまでの戦争像を相対化し、戦争が画一的に批判しつくせないことを訴え、さまざまな個人に焦点を当てた戦争像を描く。「戦後」の文脈での戦争の論じ方の書き換えを、実践的に遂行する営みであったといいうる。」

曾野による書き換え。下「」引用。

「曾野による書き換えは、形式とともに内容も作品ごとに推移するが、なかでも『ある神話の背景』は、「体験」の時代にかかれた沖縄の戦記の文脈を検証するという手法を用いている。曾野は複数の作品による複数の手法での文脈の書き換えをおこない、この三部作によって、これまでの沖縄戦の叙述への対抗的な文脈を作り出そうとしたのである。
 このとき、曾野は「戦時」を現時点から切り離し、いまは平和の時代としている--「あの時、あんたたちも人間じゃなかった。我々も違う。だからそんな中で、世間が考えるような人並みの不幸なんかある訳ないよ」(『切りとられた時間』)。また、「戦争のあの時代にあった人間の心を、今の時点から拒否することはいくらでもできる。しかし現状を受けいれつつあるこの同時代人に果してその資格があるものだろうか」(『ある神話の背景』)と、アジア・太平洋戦争に対する評価の軸にかかわる議論にまで、書き換えの文脈を敷衍する。
 ただ、それにしても、曾野が沖縄へむかう問題意識が不明であることは否めない。書き換えそれ事態を目的とする以上に、曾野の作品から沖縄への関心を読み取ることは難しい。」

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924 天使のメガネinヒロシマ その294 日本は組織犯罪優遇国家か?

2010年06月28日 | ライト小説
あかねさんシリーズ002
男が女de女が男


九、タイム・ゼイ・ワラ・チェンジング……




924 天使のメガネinヒロシマ その294
維新オリンピック構想 その107
日本は組織犯罪優遇国家か?


--台湾海峡が危険だというのはウソらしいでござるね。

台湾では中国の元がそのまま使えるそうでござるよ。

経済では統一したのでござろうか?

元が近い将来、切り上げられることも、考えてもいるようだという。

まあ、平和がいいでござるね。

もちろん、積極的な平和がいいでござるね。

戦争はなくても、奴隷社会、反民主主義社会、ペテン師社会なんて、まっぴら御免でござる!

--共産主義の国にも、ストがあると驚いている人がいたでござるね。

そういえば、それまで聞いたこともなかったでござるね。

中国では、鉄鉱石を大量に勝って、値上げされて、支払いで損を出さないために、元を切り上げたいようだという……。

計算高い国でござるね。

しかし、その面でいいこともあるでござるよ。

--日本を攻撃して、資本を投入して支配すれば、どれだけかかるか?

そんな金をかけてらないし、そんな時代ではないという。

中国には、未開発の大地がたくさあり、それなら一度壊して造り出すなんて手間もはぶける……。

一から作り上げるほうが、金がからないという……。

もっともでござるね。

--日本は、金のかかる戦争をいう……。

血税を医療福祉よりも使っているわりに役立っていない防衛を非難することもない。

沖縄では、米軍よりも、日本軍にトラウマがあり、自衛隊が来てほしくないという。

それは、そうだろうと思うでござるよ。書物を読んでいて……。

--日本は、あれほどの額を使っていて、守れないというでござるよ……。

ほかの国はどうしているのでござろうね。

金、金、金の軍備……。

そして、安全になるのは、一番でなければならないようでござるよ。

まったく、不可能だし、不必要なことだし、憲法違反でござるね。

--ヨネさんがそういって、怒っていたでござるょ。

先の大戦ではそうやって、国を守るといって、国家予算の85%以上を軍事予算で使っていたのに、守ることなどでぎず……。

焦土にかえてしまった……。

多くの国民の命を奪い、健康を奪い、財産を奪った……。

それでも、反省がないとあきれている……。

また、こんなことを繰り返したいのか?

歴史から学ばない政治家、マスコミ……。

そして、勉強ぎらいの若者、また、歴史は繰り返すかもしれないでござるね……。

--ナチス・ドイツがあらわれたら、どうするのですか? と外務省……。

ナチスは日本の同盟国だったことも忘れていると大笑いされているそうでござるよ。

今も世界最大最悪のテロリスト国家のポチになっているといわれているのに、正義ぶるなんて、本当にお笑いぐさでござるね。

戦争プロパガンダをつかっているくせに、平和主義のようにいっているペテン師たちには、あきれるばかり……。

日本政府よりも、アメリカを重んじる外務省に、日本の血税で給与を支払う義務はないでござろうに……。

アメリカからもらえばいいでござろうよ!







【資料など】

自らも被爆、故秋月医師の代表作 復刻「死の同心円」
28日発売(西日本新聞) - goo ニュース


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統制権移管延期、北2回目核実験後に韓米が
共同認識(聯合ニュース) - goo ニュース











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