『もっと知りたい「慰安婦」問題-性と民族の視点から-』
金富子、他・著/明石書店1995年
在日朝鮮人女性の眼で見た「慰安婦」問題。
「おら朝鮮人はきらいだ」 下「」引用。
「「おら、朝鮮人はきらいだ」
朝鮮人である神道さんが、朝鮮人である私に掃いたことば。そのことばのゆえんを解きたいという思いが、初対面のあの日から今日まで、私をこの人のもとへと向かわせたにちがいない。−略−」
同邦人といっても、差別をうけたら、「きらい」になって当然でしょうね……。
「無差別強姦から組織的強姦へ」 下「」引用。
「スンドゥが連れて行かれた上海は、くしも日本軍慰安所発祥の地とされる。スンドゥの上海到着から五年さかのぼる一九三二年、上海事変時に日本軍人による強姦事件が多発したためその防止策として設置されたもの、という。公文書にあらわれる上海の慰安所数は、一九三七年までわずかな増減を示しつつ、決して絶えることはない。」
慰安所がつくられた理由の4番目。下「」引用。
「さらに、とりわけ朝鮮人女性たちを大量に連行し「慰安婦」にしたのは「防諜(ぼうちょう)」つまり、スパイ対策ということも考えられます。女性たちを通じて軍の機密がもれることを恐れた日本軍は、現地の住民とことばの通じない朝鮮人女性を「慰安婦」にして、管理することで軍の機密がもれないようにしました。」
上海の慰安所。下「」引用。
「スンドゥが行った上海の慰安所も、軍専用慰安所だった。直接管理していたのは朝鮮人の業者だったが、軍がたびたび慰安所の食物、衛生などを検査し、スンドゥらは定期的に軍医の性病検査を受けた。また、上海に連行される前に立ち寄った長崎では、「命令が降りればどこへ行くかわかる」と、軍人がスンドゥに告げている。」
「武昌の慰安所『世界館』」 下「」引用。
「途中、天津(ティンチン)で慰安所を見せられ、着飾った女たちが軍人の手を引いて建物のなかに入って行く姿を見たときにも、それが意味するものが何なのか、その先に何が起きるのか、見当もつけられないほど「うぶ」だった少女は、武昌(ウーチャン)の慰安所『世界館』で、泣いても、泣いても埋めることのできない、後悔の深い底穴に落ちこみ、来る日も、来る日も、無駄な抵抗を繰り返すことになる。−略−」
軍からの許可……。下「」引用。
「戦闘の痕跡を残す武昌の町で、シンドは驚いてばかりはいられなかった。慰安所開設の準備は、シンドらの労力も動員して着々と進められたのだ。そしてほどなく軍から許可がおり、慰安所『世界館』が開設された。シンドはここで、女たちを扱うことに長(た)けた業者のもと、「逃げられない境遇」であることを徹底的に叩きこまれる。−略−」
大勢の慰安婦が死亡した。下「」引用。
「被害者や元兵士の証言からも明らかになっていることですが、戦争中おおぜいの「慰安婦」が死亡しました。失意のあまり精神に異常をきたして自殺した人、体を酷使されたうえ性病やマラリアなどの病気にかかって生命を落とした人、慰安所で、あるいは移動の際に爆撃を受けたり、戦闘にまきこまれて死んだ人、逃亡をはかったり、兵士に反抗したために他の「慰安婦」たちへの「見せしめ」だといって殺された例もありました。そうしてあげくのはてには、戦争が終わったとたん「じゃまになった」として殺されたり、現地に置き去りにされたりしました。」
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もくじ
金富子、他・著/明石書店1995年
在日朝鮮人女性の眼で見た「慰安婦」問題。
「おら朝鮮人はきらいだ」 下「」引用。
「「おら、朝鮮人はきらいだ」
朝鮮人である神道さんが、朝鮮人である私に掃いたことば。そのことばのゆえんを解きたいという思いが、初対面のあの日から今日まで、私をこの人のもとへと向かわせたにちがいない。−略−」
同邦人といっても、差別をうけたら、「きらい」になって当然でしょうね……。
「無差別強姦から組織的強姦へ」 下「」引用。
「スンドゥが連れて行かれた上海は、くしも日本軍慰安所発祥の地とされる。スンドゥの上海到着から五年さかのぼる一九三二年、上海事変時に日本軍人による強姦事件が多発したためその防止策として設置されたもの、という。公文書にあらわれる上海の慰安所数は、一九三七年までわずかな増減を示しつつ、決して絶えることはない。」
慰安所がつくられた理由の4番目。下「」引用。
「さらに、とりわけ朝鮮人女性たちを大量に連行し「慰安婦」にしたのは「防諜(ぼうちょう)」つまり、スパイ対策ということも考えられます。女性たちを通じて軍の機密がもれることを恐れた日本軍は、現地の住民とことばの通じない朝鮮人女性を「慰安婦」にして、管理することで軍の機密がもれないようにしました。」
上海の慰安所。下「」引用。
「スンドゥが行った上海の慰安所も、軍専用慰安所だった。直接管理していたのは朝鮮人の業者だったが、軍がたびたび慰安所の食物、衛生などを検査し、スンドゥらは定期的に軍医の性病検査を受けた。また、上海に連行される前に立ち寄った長崎では、「命令が降りればどこへ行くかわかる」と、軍人がスンドゥに告げている。」
「武昌の慰安所『世界館』」 下「」引用。
「途中、天津(ティンチン)で慰安所を見せられ、着飾った女たちが軍人の手を引いて建物のなかに入って行く姿を見たときにも、それが意味するものが何なのか、その先に何が起きるのか、見当もつけられないほど「うぶ」だった少女は、武昌(ウーチャン)の慰安所『世界館』で、泣いても、泣いても埋めることのできない、後悔の深い底穴に落ちこみ、来る日も、来る日も、無駄な抵抗を繰り返すことになる。−略−」
軍からの許可……。下「」引用。
「戦闘の痕跡を残す武昌の町で、シンドは驚いてばかりはいられなかった。慰安所開設の準備は、シンドらの労力も動員して着々と進められたのだ。そしてほどなく軍から許可がおり、慰安所『世界館』が開設された。シンドはここで、女たちを扱うことに長(た)けた業者のもと、「逃げられない境遇」であることを徹底的に叩きこまれる。−略−」
大勢の慰安婦が死亡した。下「」引用。
「被害者や元兵士の証言からも明らかになっていることですが、戦争中おおぜいの「慰安婦」が死亡しました。失意のあまり精神に異常をきたして自殺した人、体を酷使されたうえ性病やマラリアなどの病気にかかって生命を落とした人、慰安所で、あるいは移動の際に爆撃を受けたり、戦闘にまきこまれて死んだ人、逃亡をはかったり、兵士に反抗したために他の「慰安婦」たちへの「見せしめ」だといって殺された例もありました。そうしてあげくのはてには、戦争が終わったとたん「じゃまになった」として殺されたり、現地に置き去りにされたりしました。」
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もくじ