磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

“戦争と科学”の諸相-原爆と科学者をめぐる2つのシンポジウムの記録-

2009年05月17日 | 読書日記など
『叢書インテグラーレ002 “戦争と科学”の諸相-原爆と科学者をめぐる2つのシンポジウムの記録-』
   広島大学総合科学部・編/市川浩、山崎正勝・編/丸善2006年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「米・旧ソ・独・日の四カ国で核開発に関わった科学者の動機、実際の行動や社会的責任の問題とは?--科学者を戦時研究に動員する機構の問題、科学者の政治との関わり、冷戦型研究・教育体制の世界的波及……などの新しい論点を、新資料にもとづき具体的に提示。反響をよんだ国際シンポジウム「核開発の国際史-核時代の幕開けにおける科学者の社会的責任-」および「二○世紀における戦争・冷戦と科学・技術-国際共同研究の展望-」の待望された活字化!!」



■目 次■

まえがき  iii
第I部 公開シンポジウム
 核開発の国際史-核時代の幕開けにおける科学者の社会的責任-
第1章 アメリカの物理学者-第二次世界大戦における核兵器および社会的責任- ローレンス・ベイダッシュ  8
第2章 ソヴィエトの核科学者たちの倫理的モティヴェーションについて イーゴリ・S・ドロヴェニコフ  25
第3章 ドイツ“ウランの科学者”たちの意図と行動 マーク・ウォーカー  37 
第4章 日本の戦時核開発と広島の衝撃 山崎正勝  48
第5章 コメントと討論 ウォルター・グルンデン/沢田昭二  59 
第II部 国際シンポジウム
 二○世紀における戦争・冷戦と科学・技術-国際共同研究の展望-
第6章 “戦争と科学”をめぐる諸問題 常石敬一  107
第7章 戦時中の日本における科学者動員 田中浩朗/河村豊述  121
第8章 ドイツの科学は前進する! ヘルムート・マイエル  132
第9章 核時代における科学者と政治的積極主義の賭 ジェシカ・ワン  144
第10章 ソ連邦科学アカデミーと戦争 エドゥアルド・I・コルチンスキー  159
第11章 醜いアメリカ人 スチュアート・ウィリアム・レスリー  176
 あとがき  189
 講演者紹介  193


科学に対する3つのタイプがあるという……。下「」引用。

「科学者がどのようにして軍事研究開発に間違いを犯した者として非難するでしょう。また、ある人は、大量殺人の道具づくりに手を貸した科学者を、道徳的な間違いを犯した者として非難するでしょう。また、ある人は、戦争という異常な状況でやむをえざる選択であったと、軍事研究開発に動員された科学者を弁護するでしょう。さらに、ある人は、軍事研究開発を人類史における科学・技術発展の大きなスプリング・ボードとして積極的に肯定するかもしれません。」

--2つは社会的責任ということは、思考停止している……。
これでは3つのタイプというべきものではないとボクは思う……。

別のことを話している、つまり、すり替えの論理をしめして、思考停止しているというテクニックでしかないのではないか?

マンハッタン計画から去った科学者……。下「」引用。

「モラルの理由で辞退した少数の科学者の一人が、ヴォルニー・ウィルソンでした。シカゴで行なわれて居てたマンハッタン・プロジェクトの研究で、彼はアーサー・コンプトンの要請で核分裂に関する計算を行なっていました。しかし彼はこれ以上核に関する研究を続けたくないと言いました。また、私はチャドウィックかもみ聞いたのですけれども、イギリスにおいては数人の科学者がやはり人道的な理由で、この原爆開発の任務を辞退したということであります。」

フランク報告の2点……。下「」引用。

「この報告には二つの点で語らておりました。一つ目は、爆弾の科学的原理を秘密にしたりウラン鉱石の供給を独占したりすることでは、核軍拡競争を阻止することはできないというものでした。二つ目は、そのような軍拡競争が始まった場合、米国は不利な立場に置かれるであろうというものでした。米国は人口も産業も特定地域に集中しているため、少ない核爆弾で破壊されるからです。」

日本は短期……。下「」引用。

「どうして日本の原爆計画がそれほど小さな規模であったのかですが、それに対する有力な答えは、日本の軍は短期の勝利を信じていたため、核兵器のような長期の開発を敬遠したということです。例えば海軍は真珠湾の攻撃を始めた時に、二年間で戦争は自分たちの勝利に終わらせると考えていました。」

というよりも、その時にはすでに実質は敗戦国では?
半年間だけの勝利……。

原子力に関わる大きく、そして広島も加害者であったことを問題として取り上げるべきではないだろうか?

チェルノブイリから広島へ


また、いい加減な論理で、セレブな学者たちが、多くの人類を見殺しにしていると、まともな社会がきたら、歴史に残されることだろう……。







目 次





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PHPこころのノンフィクション23 友情は戦火をこえて-博物館を戦争からまもった科学者たち-

2009年05月17日 | 読書日記など
『PHPこころのノンフィクション23 友情は戦火をこえて-博物館を戦争からまもった科学者たち-』
   石井美樹子・著/PHP研究所1983年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「太平洋戦争のさなか、日本軍占領下のシンガポールに、貴重な文化財の博物館をまもった日本人とイギリス人の科学者たちがいた。敵みかたの立場をのりこえ、ふきあれる戦争の嵐から学問の灯火をまもりぬいた人びとの、勇気の物語。」



博物館があったという。下「」引用。

「ラッフルズ卿の英知をたたえるためにつくられた博物館のことも心配だった。
 二階建のビクトリア朝風のまっ白なラッフルズ博物館の建物は、市の中心部にあった、。-略-マレー半島の歴史と文化を知るうえでたいせつな、考古学や民族学の資料がたくさん陳列されていた。鳥類の標本は一万六千もある。小さな動物、ネズミとかリスなどの剥製の標本は四千。保存状態は完ぺきだ。鳥や小動物の本の数は、ぼうだいだ。
 附属図書館の蔵書の数は、五万。おそらく東洋一であろう。-略-」

日本軍が来るので、恐怖していた……。

火山学者・田中館秀三東北帝国大学教授(当時は講師)がコーナーと対面。下「」引用。

「「じつは、わたしは天皇陛下の名代としてシンガポールにやってきたのです。生物学者の陛下は、この地の研究教育機関や文化施設がぶじであるかどうか、人民のために用いられているかどうか、たいへんに心配されておられます。陛下は生物学者であられます。博物館と植物園はなんとしてでもまもらなければなりません!」-略-
 コーナーは、あっけにとられた。」

昭和天皇がお床で、コーナーの本『マラヤの路傍の木』を読む。
それから、日本軍の態度がかわったという。

タケナウという、好人物がいたという。下「」引用。

「彼はつねにこまっている者のみかたであった。日本の占領が終わり、日本人が収容所に入れられると、こんどは日本人を、おしまずにたすけた。タケナウはつねによわい者、負けた者のみかたであった。強くてえらく力のある人のみかたをする人は多い。しかし、そのぎゃくはすくない。黄金の心の持ちぬしとはタケナウのような人のことをいうのだ、とコーナーは思った。」

正義とはこのような人を呼ぶとボクは思う……。

徳川義親……。下「」引用。

「植物園と博物館の総長となった徳川義親公爵は、徳川幕府をおこした徳川家康の子孫である。-略-五十五歳の公爵は、生れてはじめて軍服を着て、軍刀を腰につけた。細おもてのひきしまった顔、ほっそりとした体つきに軍服がにあった。気品がただよい、きりりとしてりりしい軍服すがただった。
 公爵は戦争にまきこまれたサルタンや村民たちのことがとても気がかりだった。彼はマレーに虎狩りに行ったとき、とてもせわになり、それいらい、したしくしていたからだ。-略-」

台風の目のようだったという。下「」引用。

「アジア大陸の各地に、太平洋の島々にもうれつな戦争の嵐がふきあれるなかで、ここシンガポールには、まるで台風の目のなかのような、ふしぎな学問の世界ができつつあった。」

クリスマスに、「おくり物」を収容所の子供たちにしたという。下「」引用。

「クリスマスに、「おくり物」はぶじ、収容所の子どもたちにとどけられた。
 軍政最高顧問とはいえ、もともと友人のサルタンの身を案じてシンガポールに来た侯爵には、軍という巨大な機構を動かす力はなかった。しかし、このような軍政のすきをねらって、人びとをすこしでもしあわせにするため、ひそかな努力をいつもしていた。
 侯爵も田中館教授も、コーナーたちイギリス人に軍の仕事を手つだわせたり、情報を提供させたりすることはけっしてしなかった。軍人がそういう目的で博物館や植物園を訪れたときは、彼らをべつの建物に使いにだし、
「あいにく、コーナーさんもバートさんも、ホルタムさんもおりまん。」
と、ことわった。」

あまりにも、ビューティフル・ストーリーすぎるとボクには思えました……。







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戦争があった日のはなし3 南十字星のみえる島』

2009年05月17日 | 読書日記など
『戦争があった日のはなし3 南十字星のみえる島』
   植松要作・作/太平出版社1985年

表紙の裏(右ソデ)に書かれてあります。下「」引用。

「春には、かわいらしいサクランボが、
秋には、まっかなリンゴがたわわにみのる、
北国のしずかな村--。
いつまでもつづくながい戦争は、
この村にも、くらいかげをおとし、
さまざまなきずあとをのこしました。
 この六つのものがたりは、そんな時代のはなしです。」



■目 次■
はじめに  10
1 戦争とリンゴ  13
2 村が燃える  29
3 三毛ネコのチャペ  43
4 母ちゃんとのやくそく  59
5 ぼたん雪と墓  77
6 南十字星のみえる島  91
あとがき  123


闇販売といかる巡査……。下「」引用。

「ふたりの巡査(おまわりさん)が、ヒロシの家にやってきました。ひとりのこしには、ながい剣がつるされていました。
 頭ごなしに、おっ父ぁんに、こういったのです。
「おまえの家で、売ってはならねぇきまりをやぶって、リンゴをヤミ売りしているのは、ちゃんとわかってる。ほんとは、けいさつにきてもらうところだが、あたらしいきそくだから、こんどだけはかんべんする。二度とやったら、うしろに手がまわるからな。」
 巡査は、おっ父ぁんを、おどかすようにいうのです。
「ながいつきあいのやおやさんがくるもんで、虫くれや(むしくい)、くずのリンゴを、ただみたいにしてやっただけですがな。」
 おっ父ぁんが、いいわけを、ひとこというと、
「ひとかけのリンゴでも、売ったばつはばつ。食糧も鉄砲のためぐらいだいじなときだ。ほんとは、自分の家で、くってもいけないんだぞ。ひとつぶだって、むだにしないで、国にさしだす気になれ。」
 顔を、ゆげのたつほど赤くして、剣をつったほうの男が、さけびました。」

敗戦にになり、自由にリンゴも売買できたという。下「」引用。

「疎開していたおじょうちゃんな、おまえの家の『虫くれリンゴ』、うまかったんだってよ。そういって、東京さかえっていった。」

軍隊に追い出された家族……。下「」引用。

「わたしの家族をおいだしたのは、日本の軍隊でした。飛行場をつくるといって、果樹園や養蚕をやっていた農家の土地をとりあげたのです。
 リンゴやモモ、サクランボ、ブドウなどをつくっていたわたしの家の土地ばかりでなく、おおくの農家がおいたてをつくったのでした。」

捕虜になったという。下「」引用。

「春人は、捕虜として、アメリカ本土におくられましたが、その年--一九四四年(昭和一九年)十一月の末、「玉砕」(全滅)でおわったベリリュー島攻防戦のいきのこりは、春人のほか、日本人は数人にすぎませんでした。
 春人は、アメリカのウィスコンシン州で翌一九四五年八月十五日をむかえて、日本の敗戦をしり、その年の秋に、なつかしい北国の村にかえってきました。-略-」









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女性史を拓く-国立市公民館女性問題講座「歴史」-4 「慰安婦」問題と戦後責任

2009年05月17日 | 読書日記など
『女性史を拓く-国立市公民館女性問題講座「歴史」-4 「慰安婦」問題と戦後責任』
   鈴木裕子・著/未来社1996年

図書館の説明文。下「」引用。

「日本軍慰安婦問題が国家犯罪として問われている時、我国は民間基金でそれに替えようとしている。侵略と加害の認識を欠落させた歴史観、被害者意識のみの戦争観がどう作り出されてきたかを検証する。」



玉砕したと書かれてある……。下「」引用。

「なお五○年前のいまごろは沖縄戦のまっただなかでたくさんの沖縄の女性・市民、連行されてきた朝鮮人「慰安婦」の人たちが殺されたり玉砕を強いられたりしていました。-略-」

米軍のためニッポン国営慰安婦についても書かれてありました。下「」引用。

「その一方で、当時、内務省警保局は何をやったのか。敗戦直後に、内務省がおこなったもう一つのことを見たいと思います。-略-「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通達」-略-敗戦が八月一五日でした。その三日後の八月一八日に先ほどの婦女子にたいする警告を出した役所である内務省警保局、その局長名で全国の警察署長にマル秘で出されている通達がこれなのです。」

募集の手口? 下「」引用。

「わたくしは当時二○歳の人で募集を聞いていったという女性に偶然、会ったことがあります。行ってびっくりしたというのです。女事務員を募集していると聞いていったところ、どうも様子が違う、そこでほうほうの体で逃げてきたというのです。現在、千葉県に住んでいますけどもそういう方がおられました。その人はその後、国鉄に入りまして、総裁室の秘書をした方なのですが、それは何もこの方一人の例だけではなかったと思います。ほんとうに女事務員というつもりで行って、実はこの人のようには帰らずに、家の事情等々で嫌だったけれども、やむなくその仕事に従ったという人もいたということも聞いています。」

池田勇人……。下「」引用。

「この特殊慰安施設協会は占領軍の先遣隊が入ってくるのが八月二八日ですから、それに間に合うように設立されるのです。その協会の目論見書によりますと、その目的は「関東区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」づくりなのです。この目論見書には、指導委員会というものが出てきて、それには内務省、外務省、大蔵省、運輸省に東京都、警視庁それらの各関係部署が、集まって組織されるとあります。政府まるがかえなわけです。そして警視庁は八月二八日正式認可を下します。
 特殊慰安施設協会はまず、ともあれ金づくりと称しまして当時の大蔵大臣津島寿一の命令を受けまして、のちに首相になりましたが、当時大蔵省主計局長だった池田勇人のところへ相談に行きました。池田は開口一番「一億円まで出そう。大和民族の純血を守るのに、一億円は安い」と言ったというのです。」

制度はなくなったけれど、土壌は戦後も残っているようだという……。下「」引用。

「一九五一年に講和条約が調印されます。その年は前年の朝鮮戦争による「特需景気」で栄えた年なのです。日本にある米軍基地から米兵たちを乗せて飛行機が行くわけです、あるいは帰ってきます。その時の「洋パン」の数は一二万五○○○人に膨れあがったといいます。
 ベトナム戦争のときに沖縄のときに沖縄の米軍基地からベトナムへ飛び立った米軍機が行き、帰ってくる。そして沖縄の女性たちをベトナムから帰還した米兵たちが買うという、それと同じ構図です。沖縄にはそれがずっとあったわけです。いまもある。いまだにある。湾岸戦争などのときも、沖縄ではたぶん同じような状況が生れたと思います。
「従軍慰安婦」制度を生んだ土壌が敗戦後もそのまま残ったということです。そして沖縄ではいまも残っているということです。占領下で終わったわけではない。-略-」

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市川房枝の敗因論……。下「」引用。

「敗戦の原因の一つに“女性の総動員化がソ連、米国に比して遙かに遅れ、かつ少なかった”ことを指摘」

社会党……。下「」引用。

「社会党は、野党時代には元「慰安婦」の人を含む戦争犠牲者や日本の戦争責任にたいする謝罪・反省、真相究明、賠償をうたい文句にしてきました。中身はともあれ、形のうえではそれが社会党の戦後賠償政策でした。-略-
 ところが、一九九四年六月に村山内閣ができ、そのとき三党合意がなされる。その三党合意の一つとして先日の「戦後五○年決議」がまずあったでしょう。あるいはいまいった「慰安婦」問題等に関する合意も含まれていたのではないか、と推測されます。そこで社会党は政策を転換させました。つまり政府(国家)による個人賠償は求めないということを、われわれ市民には言わなかったけれども、山党のなかではその方向で合意をみたと思います。いままでいってきたいきさつ上、何らかのことをしないといけないというわけで、にわかにとびついたのがお蔵入りになっていた「見舞金」構想だったと思います。」

“妾腹”……。下「」引用。

「-略-大正天皇は、平ったく言うと、明治天皇の“妾腹”の子なんです。柳原二位局という女官(柳原愛子)さんに生ませたのが大正天皇、つまり昭和天皇の父」

こんな表現は誰であろうと差別視していないか?
--女性蔑視でもあろうし、生れてきた子を物のように扱っていないか?
当時の常識は現在とは異なるだろう……。

女帝を否定したのはクリスチャン。下「」引用。

島田三郎という人がいます。この人はクリスチャンで、のちに廃娼団体の廓清会の会長になった人です。毎日新聞の社長でもありました。広い意味でいえば、リベラリストです。彼は女帝に賛成だったかというと実は反対だったのです。なぜ反対か、彼は女帝を非とする理由として三つあげています。-略-」

「「慰安婦」犯罪にたいする処罰は、国際レベルでの法的先例を確率する決定的問題--クマラスワミ氏の予備報告書」についても書かれてありました。






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528 友愛vs市場原理主義テロリズム?

2009年05月17日 | ライト小説
あかねさんシリーズ002
男が女de女が男


九、タイム・ゼイ・ワラ・チェンジング……




528 友愛vs市場原理主義テロリズム?


新しい民主党の党首に鳩山由紀夫が決まったでござるね。

せっしゃは、岡田氏を応援していたでござるよ。

といっても、選挙権なき外国人。

いや、今回、国会議員だけだったとか。

地方の民主党の幹部の人たちなら、逆だったろうともいう。

--岡田氏は年金を税法式にかえるという。

これは賢いでござるね。

そもそも、官僚たちの天下り先をつくるシステム。

どう、扱っても、それ以外にかわうることはないでござるね。

それに、効率的でござるよ。

そして、天下り先もなくせるわけでござるよ。

目先のことで、人をだまくらかすような、御仁ではないところに、せっしゃは岡田氏を推していた。

やはり、徳川家康を一番のモデルと考えるからでござるよ。

中国はプラス成長しているという。この世界不況というのに……。

彼らは世界とは関係ないのでござるか?

その中国では、徳川家康の小説が読まれているという。

機能的に世の中を考える。戦国武士というのは、そこが今の政治家よりも優れていた。

--先の先まで考えるシステム……。

徳川家康というは、負けつづけたのに天下をとった。

たった一度の負けで、すべてをうしなった戦国武将もいたというのに……。

--SNSというのはおもしろいでござるね。

あの鳩山氏のファンもいるでござる。

しかし、反対者もいる。

それでこそ、民主主義でござるね……。

しかし、罵倒などする人がいないのはよきことでござった……。

まあ、麻生の祖父・吉田茂を倒したのは、鳩山一郎。

吉田茂は日本国を独立国にもどしたといわれる……。

実質はそうとばかりはいえないでござるが……。

吉田学校と呼ばれる映画もあるでござる……。

独立国にしたのはいいが、権力の権化になり、汚い手をつかってまでも総理で居続けた……。

吉田学校というのには、疑獄に関する政治家が多い。

有名なところでは、ロッキードの田中角栄。

池田なども……。

それと、友愛をとなえた鳩山一郎……。

はたして、だれに対する友愛か?

田中学校の優等生・小沢一郎にだったら、国民にとっては不幸だろう……。

--しかし、官僚を敵にするのは、愚か?

システムでは、完全に政治家の方が上。

官僚が悪いことをしても、裏には大物政治家がいる……。

その大物政治家がおかしくしているシステムをなおせばいいことで、何も対立をする必要はない。

まともに機能するようにすればいい。

そう思ったほうがいいと思うでござる……。

しかし、利権を握っている政治家はそれを許さないだろう……。

--行政を、血税をうごかせるからこそ、その大物政治家に悪徳企業は金をまわす……。

それは、見返りがあるからだ……。

庶民はそう思っている人が多そうだが、せっしゃもそのように思えるでござるよ。

はたして、友愛vs市場原理テロリズムの対決になるのか?

--エコポイントも金持ち優遇……。

消費電力も大きい、テレビや冷蔵庫をつかわせることをすすめる……。

そんなエコポイント……。

市場原理テロリズムは、今も続いてるとしか思えないでござる……。

地熱発電という日本が有利な分野にいくら使われたのでござろうか?

原子力は必要ないという学者がいるのに、いまだに大手マスコミでは、ぜったいに必要という御用学者が目につく……。

--読売新聞は民主党の党首選よりも、大きく厚労省の分割をとりあげた……。

しかし、バカが二人になったら、下のものは、余計に混乱させられるだけだろう……。

現場は大変なのに、その現場の足をひっぱることばかりしているバカなリーダー。

権威主義だけで、基礎の基礎さえわかっていない。オオミエきるだけのブザマな歌舞伎役者!

--あれほど、新型ウィルスはいれないと、豪語していたのに……。

まったく、超人かと思っていたのでござるが……。

やはりムダに公共の電波をつかっていたでござるね。

--外国にいったこともない人が感染したという。

せっしゃは、マスクすることを勧めるでござるよ。

しかし、感染症も甘くないでござる。

タバコやアルコールはさらに、リスクをアップする……。

そんなことも伝えられない専門家……。

まったく、上がバカだとまともなことも言えない……。

出世したい人はそういうものでござろう……。












閑話休題

民主党でも、

貧乏人の生活は

大変なままのような気がしますね。

選挙はお盆の高速道路料金割引で人気が

あがった後くらいになるだろう……。

--そういう人たちがいますね。

暑いときに、困ったもんですね。









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