磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ニッポン国策慰安婦-占領軍慰安施設・女たちの一生-

2009年05月14日 | 読書日記など
『ニッポン国策慰安婦-占領軍慰安施設・女たちの一生-』
   山田盟子・著/光人社1996年

慰安婦といっても、日本の女性……。
--アメリカ軍(占領軍)のために国策によってつくられたもの……。



帯に書かれてあります。下「」引用。

「日本敗戦、アメリカ軍進駐にともない、占領軍兵士を慰安するために、国のお声がかりで、「女の貞操」を犠牲に供させた「ニッポン国策売春会社」と〓(*○の中に公)慰安婦の実態を鋭く抉る。病躯に鞭うち、アメリカ取材もかさねた執念の労作!」

歴史の流れも書かれてあります。

終戦の翌日に、婦女子の疎開列車が走ったという。
--それは、進駐軍から身を守るための疎開……。

東京の回覧板……。下「」引用。

「占領軍が上陸したら、女性はなるべく外出しないこと。止むを得ず外出するときは、ズロースを二、三枚はいて、その上にかならずモンペを着用し、兵隊の暴行に備えてください」
 と、いった注意書きが記されてまわされた。
 女子の疎開騒ぎは、九州なども同じで、唐津、大分など東京より二日も早い八月十四日にはじまっていた。」

運輸省も便宜をはかったという……。下「」引用。

「運輸省でも疎開列車の便宜をはかったほどだから、発令はお上の大元からである。
 連合軍の日本進駐には、日本の奴隷化も民衆の滅亡も意図しないとあったが、かつてアジアにどらを打ってでた日本は、犯す、盗る、焼くという野盗働きもやったのだから、占領するにあたっては、その裏返しの思考がまず立ち働いたといえるだろう。」

いろいろな名称があったようだ。
「公務公用婦」「国家公務公用人」「サービス・ガール」 下「」引用。

「兵士に慰安婦を従軍させるにあたって、鹿児島ではその呼称名を「公務公用婦」とし、兵庫の福原などは、「国家公務公用人」などと、たいそうな呼び名で送りだした。こんどの戦後処理にあたっての最初のもくろみは、またしても女の貞操を犠牲にして、占領軍をすかしつけようという肚だった。」

「良家の子女を守る」下「」引用。

「その占領軍性処理について、女子疎開騒ぎの二日後にあたる八月十八日、政府は都道府県の警察長に「進駐軍特殊慰安施設指令」なるものを発した。
 その骨子は、一部の女性を防波堤に、「良家の子女を守る」構想が、この混乱のなかで進められたのである。」

官邸では……。下「」引用。

「首相官邸では、東久邇宮首相以下閣僚が、この朝マニラから帰って来た降伏全権委員、河辺陸軍中将から、連合軍側のきびしい要求を聞いていた。まわりの人々の沈痛な表情で声もでなかった。
 河辺中将の説明が終わると、近衛国務大臣が、心ひそかに悩んでいた問題の口火を切った。それは性に飢えた進駐兵士の暴行、陵辱から、婦女子をいかにして守るかという問題であった。
 この対策を緊急にやらねばならないと閣議に要望、有名なバルカン戦争の昔から、勝利者の奢りに女の悲劇は跡を絶たない。大和撫子の純潔を守らねばならない。直ちに進駐軍慰安施設提供に関する件という、前代未聞の懸案が、閣議決定となった。(『進駐軍慰安作戦』鏑木清一)」

児玉誉士夫が関わる……。下「」引用。

「当時の東久邇内閣には、右翼の児玉誉士夫が寄りついていた。侵略における不浄政策の親玉らしく、RAAの設立には、ぬけ目なく関東国粋会のしかも京浜では博徒の親分でもある大竹広吉をしのばせてあった。-略-」

防止法が成立しなったのは……。下「」引用。

「昭和二十四年四月、バッシン中尉が、「売春のより合理的な統制下における継続と、売春婦へのよりよき厚生対策の重要性」という調査覚書をマッカーサー司令官に提出したため、占領期間には、ついに売春防止法が成立しなかったと唱える人々がいる。」

そして、アメリカ性女隊というのも……。下「」引用。

「「性女部隊に狩りこまれた男があったって、ほんとうですか」
「ありましたね。日本娘のパンパンや、オンリーが盛んでしたから、WACはひまをかこったのでしょう。それに、日本男子に多少の好奇心はあったんでしょうよ。警官で三日間監禁され、性の相手をさせられたんです」-略-」

「花代は軍票で」下「」引用。

「-略-ここでも木札をもらう前に、軍票で花代二十円のワンタイム料を業者に払っている。
 戦後、占領軍が日本で発行した軍票は十五種類あり、二十一年発行はA十銭券まで七種類あった。」

まるで日本軍のようだ……。

赤線にも人種差別……。下「」引用。

「進駐当時に都民政局の予防係長である与謝野光が、GHQのウェブスター軍医総監に、GI十万人の性処理に、赤線の線引きを手伝わせられたことを前述した。
 そのとき亀戸、新小岩、玉ノ井を彼は黒人用にふりあてたが、RAAは鳩の街も、黒人の遊びを許していた。-略-」

九州医大……。下「」引用。

「そこは九州医大が駆黴と暴行での妊娠処置を目的として、お上の命令でたずさわった。
 もちろん処置された性病者の数も、おろした児の数も公表されたわけではなかった。
 RAAでの〓(○の内に公)慰安婦が妊娠すると、戦中慰安婦と同じく、「国策の仕事だから、腹の子はおろすこと」の説諭が待っていた。」

エリザベス・サンダースホームをつくった沢田美喜は、三菱本家の長女として生れたという。

娼婦が脳梅になり入院したことも書かれてあった。





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index アメリカ軍のためのニッポン国策慰安婦

2009年05月14日 | TOP【もくじ】
index アメリカ軍のための
ニッポン国策慰安婦


占領軍慰安婦-国策売春の女たちの悲劇-

ニッポン国策慰安婦-占領軍慰安施設・女たちの一生-

敗者の贈物-国策慰安婦をめぐる占領下秘史-

みんなは知らない国家売春命令 新版

秘録進駐軍慰安作戦 昭和のお吉たち

■関連■

サヨナラ・ベースの街


【一部のみ】

「慰安婦」問題と戦後責任

文学史を読みかえる 7 リブという〈革命〉-近代の闇をひらく-

軍隊慰安婦 戦争と人間の記録

秘められた女の戦記

[大阪・笹川良一]

従軍慰安婦 岩波新書 新赤版 384

[朝鮮戦争時]

4 「慰安婦」問題と戦後責任







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広島から世界の平和について考える

2009年05月14日 | 読書日記など
『広島から世界の平和について考える』
   広島大学文書館、原爆放射線医科学研究所
     附属国際放射線情報センター、
       平和科学研究センター・編/現代史料出版2006年

「あとがき」に書かれてあります。下「」引用。

「本書は、二○○五年九月一二日から一五日に開催した広島大学公開講座「広島から世界の平和について考える」の講義内容を収録したものです。-略-」



■目次・主なものだけ■

私の平和論-ヒロシマをめぐって 平岡敬  1
戦争と技術、戦艦大和の最後 戸高一成  41
原爆投下の歴史的意義 布川弘  71
戦後復興と森戸辰男の平和論 小池聖一  111
原爆被害の医学的実相 神谷研二  141
被曝のひろがり 川野徳幸  183
国際平和講築へ 篠田英朗  241
 あとがき  273

三本の矢の新組織だという……。下「」引用。

「-略-この公開講座を通じて、広島大学において平和をつかさどる原爆放射線医科学研究所、平和科学研究センターと、広島大学文書館の「三本の矢」が一つとなれる事業をたちあげる必要性が認識されたのだと思っております。-略-最後になりましたが、本書と本書の各講演を通じて、広島とは何か、広島における平和とは何か、そして広島から見える平和とは何なのか、ということを考える糧の一つともなればと祈念しております。
   二○○六年七月」

碑文について、パール博士に抗議の手紙。下「」引用。

「雑賀さんは、パール博士に抗議の手紙を出しています。その手紙には、「広島市民であるとともに、世界市民であるわれわれが」と書いてあります。「世界市民であるわれわれが」という意識が、その当時、おそらく広島市民の大多数のなかにあったのではないか。これが、このあとでお話ししまけれども、ヒロシマの平和観における非常に大きな問題だろうという気がします。」

世界市民という言葉は、最近はあまり聞かれませんね……。
--世界は広く、知らないことがあまりにも多すぎるボクです。

戦争責任の問題を提起したのは……。下「」引用。

「最初は世界市民、地球市民ということを盛んに言っているのですが、そのうちに「唯一の被爆国」という言い方が定着することによって、みんなが国家意識のなかに取り込まれてしまうわけです。そして国が前面に出てくる。そうなると当然、国家責任や戦争責任の問題が浮かびあがってくるわけですが、それを提起したのが、実は韓国人・朝鮮人被爆者だったのです。」

ニュースになっていても……。下「」引用。

「ところが、明らかな戦争犯罪である、残忍な兵器であるというこの訴えが、実は世界的なものにはなっていないという現状があると思うのです。特に象徴的な事実は、今年、広島市の秋葉忠利市長も国連で訴えをさましたけれども、国連加盟国のかなで訴えを聴く国というのは、ごくわずかです。また、かつて国連総会で被爆者である長崎の山口仙二さんが、ご自分のケロイドに覆われた顔を示しながら、原子爆弾というのはいかに残忍な兵器であるかということを訴えられましたが、それを聴いている国連の代表というのは、二○カ国か三○カ国ぐらいだったのです。」

軍事施設といっても……。下「」引用。

「当時は総力戦ですから、そういった軍事施設が集中しているところを徹底的に空襲していく、それで総力戦の基盤をたたき壊すというとらえ方もあるのでしょうけれども、決してそういうことではない。だいいち、一九四五年五月の目標を決定する段階で、これもいろいろ評価はあると思いますけれども、日本の生産力は壊滅的な段階に入っているのてず。その段階で軍事施設、あるいは軍需工場を徹底的にやるということは、客観的に見てもほとんど考慮する必要はないはずです。-略-」

しかし、戦争には大義がいるのでしょうね……。

森戸辰男のことが書かれてありました。

ABCCのことについて書かれてありましたが……。下「」引用。

「森戸の平和論の持つ普遍性と、被爆地広島の固有性が対立するなか、森戸はABCCの治療機関化を述べ、漸進的な解決を目指す方向を持っていたと考えます。」

治療機関化だけの問題ではないだろうボクには思えます。
--まず米軍の方針ありて、科学的事実を曲げていることが学者として大きいのではないでしょうか?
そんなことを無視(思考停止)して、まともな学問ができるのでしょうか?

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遺伝子の放射線のキズの特徴。下「」引用。

「鎖はこのように二本ありますが、被ばくによりこの鎖が一本切れる、あるいは二本切れるということが起きます。この鎖が切れるというのが、放射線のキズのつけ方として非常に特徴のある点です。当然のことながら、放射線以外にもいろいろな物質がこのDNAの鎖にキズをつけます。例えば化学物質、皆さん方の中には、たばこを吸われるヒトがいらっしゃると思いますが、たばこを吸いますと、たばこの中には多種類の科学発がん物質が含まれており、それがこの鎖にいろいろなキズをつけます。その場合のキズは、この鎖を切るキズではなく、記号であるG、Aなどの塩基を傷つけるキズです。」







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ちくま学芸文庫 フ12-7 フーコー・コレクション6 生政治・統治 Dits et ecrits

2009年05月14日 | 読書日記など
『ちくま学芸文庫 フ12-7 フーコー・コレクション6 生政治(せいせいじ)・統治 Dits et ecrits』 
   ミシェル・フーコー(著)/小林康夫、石田英敬、
     松浦寿輝(編)/筑摩書房2006年

「ミシェル・フーコー思考集成」(1998~2002年刊)の改題改訂



■目 次■

1 真理と裁判形態 西谷修訳  9
2 〈生物-歴史学〉と〈生物-政治学〉 石田英敬訳  153
3 ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』への序文 松浦寿輝訳  157
4 社会医学の誕生 小倉孝誠訳  165
5 汚辱に塗れた人々の生 丹生谷貴志訳  201
6 統治性 石田英敬訳  238
7 十八世紀における健康政策 中島ひかる訳  278
8 全体的なものと個的なもの-政治的理性批判に向けて 北山晴一訳  303
9 啓蒙とは何か 石田英敬訳  362
10 道徳の回帰 増田一夫訳  396
11 生命-経験と科学 広瀬浩司訳 420
 編者解説 石田英敬  445

国家医学と社会医学というのがあるという……。下「」引用。

「健康敵性という概念はフランス革命の初期に生まれました。公衆衛生という概念のほうは、十九世紀フランスで社会医学の主要な部分を糾合する概念になっていきます。この時代のもっとも重要な医学雑誌のひとつで、一八二きゅうに創刊された「公衆衛生・法医学年報」は、こうしいてフランス社会医学のスポークスマンとなります。
 この医学は、ドイツで見られるような国家医学とはまったく異なりますが、町や地区といった小さな共同体にはずっと近いものでした。そして同時に、社会医学はいかなる特殊な権力装置にも依拠することができませんでした。神聖な原理である私有財産の問題のせいで、この医学は強い権力をまとうことができませんでした。神聖な原理である私有財産の問題のせいで、この医学は強い権力をまとうことができなかったのです。しかし、ドイツの国家医学がみずから有する権力の面ではフランスの社会医学を凌駕するにしても、観察の鋭さと科学性の面では社会医学のほうが優れていることはまちがいがありまほせん。
 十九世紀の科学的な医学の大部分は、十八世紀に発達した都市医学の経験にその起源をもっています。」

日本の政治家はこれすらない……。
--高校の保健体育も理解していないのが、総理大臣であり厚労大臣である。
現場のがんばりにひたすら、かけている……。
--理性なき権威主義者たちによって、不安定なものになっているといっていいのではないか?

宗教と医療……。下「」引用。

「十九世紀にあらためて出現した宗教グループの目的は医療化と闘うことであり、生きる権利を要求し、みずからの欲求にしたがって病気になり、養生し、死ぬ権利を要求することでした。権威主義的な医療化から逃れたいという気持ちは、十九世紀末にきわめて活発で、現在でもそうであるような、おそらくは宗教的で多様なグループの特徴のひとつでした。
 カトリック諸国では、事情が違っていました。十九世紀末から現在にいたるまで、毎年ルルドにやって来る数百万人の巡礼者にとって、この町へ巡礼することはどんな意味を持ちうるのでしょうか。彼らの身体と病気が権威主義的に医療化されていることにたいする一種の漠然とした反発、という意味でしょう。
 こういった宗教的実践のうちに、旧弊な信仰の現代的残滓を見るのではなく、むしろそこに、政治的に権威主義的な医療化や、医学の国家管理や、おもしに貧しい人々に重くのしかかる医療管理などにたいする政治闘争の、現代的なかたちを認めるべきではないでしょうか。-略-」

聖人トマス・アキナス……。下「」引用。

「聖人トマス・アキナスにはこの点について啓発的なテキストがあります。「技法は、自然がその固有の領域において行っていることを、技法の領域において模倣すべきである」と彼は注意を喚起しています。技法は、その時にはじめて合理的なものとなるのです。自らの王国の統治にあたって王のなすべきことは、神による自然の統治をまねることである。ないしは、魂による肉体の統治をまねることである。王は、まさに神が世界を創造したのと同じように、あるいは魂が肉体に形を与えるのと同じようにして、シテを建設しなければならない。」

日本には宗教心などもなく、宗教を悪用する権威主義がほとんどのように思えてくる社会でもある……。






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ひとり起つ-私の会った反骨の人-

2009年05月14日 | 読書日記など
『ひとり起つ-私の会った反骨の人-』
  鎌田慧・著/平原社2007年

いろいろな人のことが書かれてありました。



■目 次■

ひとりからの正義 矢野伊吉  8
一点の私心もなく 戸村一作  24
国を相手にたたかう 家永三郎  32
市民科学者の遺言 高木仁三郎  44
自立する精神 後藤安彦  53
沖縄からの風 大田昌秀  68
米軍から村をとりかえす 山内徳信  81
ぼくにも戦争責任はある 本島等  93
アンパンマンの正義 やなせたかし  106
『死霊』と格闘して六〇余年 埴谷雄高  124
闇を凝視めて 上野英信  136
放浪の果てに知った人の優しさ 灰谷健次郎  148
ナイーブな青年のままで 松下竜一  160
地獄絵の表現者となった妻と夫 丸木俊  165
異端児の見得 市川猿之助  177
銀幕に映らなかった登場人物 今村昌平  185
仕事、仕事、仕事 新藤兼人  197
ある名画座館主の戦後史 三浦大四郎  210
死者たちの声 青地晨  224
ひっけいな兄ぃ 本多勝一  233
大新聞からミニコミジャーナリズムへ 黒田清  238
歴史への参加、歴史の変革 斎藤茂男  250
あとがき  259


右翼から嫌がらせを受けた家永三郎。下「」引用。

「-略-老人のふたり暮らしである。
 かつては、右翼の一団が家の前に押しかけてがなりたてたり、コーラの瓶を路上に投げつけて威嚇したり、誹謗中傷するステッカーをちかくの電柱に張ったり、ビラを撒いたりしたが、いまでは静かになった。」

これでは言論の自由があるとは言えませんね。

高木仁三郎さんは三里塚でも活動していたという。下「」引用。

「東京都立大学の助教授のころである。彼は三里塚闘争(成田空港建設反対闘争)にかかわっていた。
 六ケ所村の核燃料サイクル施設の建設については、まだ財界や県は隠していた。だから高木さんに会ったにしても、核燃反対の運動のためではなく、開発反対の運動のためだった。高木さんもこのころは、原発よりも三里塚闘争のほうが忙しかったはずだ。現地のデモでもよく会うことになった高木さんは、ノンセクト・ラジカルの「黒ヘル」姿だった。」

もくじ

「沖縄からの風 大田昌秀」 下「」引用。

「一九四五年八月、二○歳になったばかり大田さんは、鉄血勤皇師範隊の一員として、摩文仁(まぶに)ケ丘(おか)にいた。沖縄師範の学生だったのだが、沖縄守備軍司令部に動員された学徒兵だった。
 情報部が受信した「大本営発表」のニュースを、地元住民の壕をまわってつたえ歩くのが任務だった。が、戦果の発表は目(ま)のあたりにする戦況とはあまりにもかけ離れていた。周囲は完全に米軍によって包囲されていた。彼は隙をついて米兵のテントに接近し、手榴弾を放りこんで食糧を奪ってくる、敗残兵のひとりにすぎなかった。」

右翼の破壊活動……。下「」引用。

「さらに、集団自決の現場となったチビリガマにつくられた『平和の像』が右翼によって破壊される(一九八七年一一月)」

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