磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

占領期雑誌資料大系 大衆文化編1

2009年05月05日 | 読書日記など
『占領期雑誌資料大系 大衆文化編I』
    山本武利、他・編/岩波書店2008年

図書館の説明文。下「」引用。

「日本占領期発行の全ての雑誌を網羅するプランゲ文庫から精選した、戦後精神のかたち、日本再生のすがたをたどる資料集。大衆文化編1では、敗戦と占領政策時における人々の心の拠り所、新たなる価値観の規範について概観する。」



付録の『月報I』に、「ファービアン・パワーズ(元GHQ演劇検閲官) 1999年11月1日、ニューヨーク・インタビュー。」があります。下「」引用。

「私は占領に反対しました。私は占領を憎んでいました。私は占領が日本の文化を破壊したと思います。アメリカ人は、占領が日本を救ったと考えがちですが、私にはそう思えません。」

日本の占領でアジア諸国がよくなったなどという人たちも、日本にもいますね……。
彼らの考えは差別的なものであるとボクは思えてなりません。
立場を入れ替えても、そういえるのでしょうか?

プランゲ文庫……。下「」引用。

「GHQは占領開始直後の一九四五年九月から一九四九年一一月まで、検閲のために日本の雑誌、新聞、図書などのメディアの発行者に対し、刊行物を強制的に提出させた。それはGHQのCCD(民事検閲局)によってすべて保管されたが、検閲終了と同時にのCCDが閉鎖されることになった。その際に作成させた内部資料によれば、終戦以来刊行された七万一○○○点の書籍、八万二二八七タイトルの雑誌、定期刊行物などが保管されていた。GHQ参謀第二部の戦史室主任歴史課長であったゴードン・W・プランゲ博士がそれらの資料の歴史的・インテリジェンス的価値に注目して、上司に働きかけ、自らの勤務先であった米メリーランド大学にその多くを譲渡させることに成功した。この資料群は一九七八年九月に正式に「ゴードン・W・プランゲ文庫」(以下、プランゲ文庫)と命名された。
 メリーランド大学は国立国会図書館と協力してプランゲ文庫のマイクロ化という事業を行ってきた。-略-」

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スタルヒンは須田博という名前にかえられたという。
戦後、他チームと契約したため、巨人が提訴し、「スタルヒン問題」が起きたという。

引き揚げによって、悲喜こもごもであったようだ……。下「」引用。

「少ない手勢で現役の投手と監督を兼ねて再建に苦労した藤本秀雄が「みんなが還ってきたらやめさせられたことなど、ひどい仕打ちだと不満を持っているようだった」-略-」

三原が監督をして、「別所引き抜き事件」の遺恨をもったままシーズン突入。
そして、4月14日「三原ポカリ事件」がおき、そして復帰。
そこに、水原茂がシベリアから帰還。

読売巨人軍は……。下「」引用。下「」引用。

「戦後の球界拡張の動きの中で盟主の座を死守するために何でもしようとする巨人というチームを軸に展開された問題という面が強いということである。この構造は本質的に現在もなお、綿々と受け継がれているのではないだろうか。」

ボクの若いころには「江川事件」というのもありました……。

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「日本野球はプロに非ず」坂口安吾・著。下「」引用。

「-略-私の友達には三根山はじめ角力が二、三ゐるから、知つてゐるが、ともかく、角力は練習してゐる。-略-」

阪神をほめる安吾さん? 下「」引用。

「ともかく、阪神だけが、いくらか、プロらしくなりかけていゐると申せよう。それは若林といふ人が、野球に徹し、腹の底からの野球人で、わが職にイノチをかける球界唯一の職人であるせゐただろう。-略-」

「長崎の鐘」についても書かれてありました。下「」引用。

「その藤山一郎が正確無比な歌唱と豊かな声量で広島につぐ第二の被爆地・長崎をテーマに平和への願いを込めた「長崎の鐘」をヒットさせた。レコードは、一九四九(昭和二四)年六月に新譜発売された。戦争によって打ちひしがれた人々の深い悲しみのなかに、再起を願う希望を托して、歌詞の「なぐさめ」のところから長調に転調して力強いメロディーを付けている。「長崎の鐘」は、原爆がもたらした戦争の悲惨を訴え、平和への願いを求める国民に広く愛唱された。」

さらに、「長崎の鐘」……。下「」引用。

「またレコード会社同志で有名作品を争う場合も多い、たとえば原爆を持って有名な永井隆博士の「長崎の鐘」であるが、松竹がいち早く映画化を企図し、その主題歌をコロムビアに吹きこむや、ビクターでは十二歳のカトリック教徒天才作曲少年の作詞作曲により同じ長崎の鐘をレコード化する案を練つてをりまたキングでもこれを狙つているといつた調子である。各社とも人気を蒐(あつ)めるには際(きは)物を狙うにこしたことはなく、この点なかなか抜目がない。」

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検閲問題を語るマキノ正博。下「」引用。

「マキノ 自由主義を宣伝する必要はない、我々は自由主義なんだから黙って居つて、検閲制度が要らんぢやないか、出来上つたもので批判しろといふんだ、あなた方の頭の作品になつたぢや私等困るんだ」

アニー・パイル劇場のことについても書かれてありました。







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中学生が演じた素粒子論の世界-ノーベル物理学劇場・仁科から小柴まで

2009年05月05日 | 読書日記など
『中学生が演じた素粒子論の世界-ノーベル物理学劇場・仁科から小柴まで 第十回仁科芳雄博士生誕日記念科学講演会より-』
    吉田武演出・著/東海大学出版会2003年

図書館の説明。下「」引用。

「日本物理学の祖・仁科芳雄の生誕地で行われた「劇的」な講演を完全収録。ノーベル物理学賞にテーマを絞り、日本のノーベル物理学賞受賞者の業績を軸に展開する素粒子物理の入門書。斬新な発想、大胆な比喩と軽妙な図版で迫る。」



「はじめに--全ては「物理学の慈父」仁科にはじまる」下「」引用。

「  --会場「フロイデ大ホール」に流れる仁科芳雄の肉声--
 湯川君の仕事というのは、これは戦前の仕事なんです。
 で、そのころは、日本の経済にも余裕があり、学者は安心して、まあ研究出来たわけです。
 ところが今日の状態はですね。研究者も、その日その日を食う、ということに非常に苦心をしているわけです。
 で、こういうことでは、中々第二の湯川を生むということは、難しいと思う。
 ですから我々は、まあ日本の経済の再建ということを努力しなければ、第二、第三の湯川を生む、ということは難しい。
 --湯川のノーベル賞受賞に際して(映像評伝・仁科芳雄より)-略-」

仁科の生誕地……。下「」引用。

「日本原子物理学の祖、仁科芳雄先生の生誕の地でありますこの里庄で、しかも、先生の御生誕日を記念する講演でございます。さらに今年は、小柴先生のノーベル賞のただ中のこの時期でございますから、テーマをノーベル物理学賞に絞り、仁科先生が種を撒かれ、それを見事に結実されました湯川、朝永、江崎、そして小柴と続くノーベル物理学賞の、各先生の業績を軸にして、お話させて頂こうと思います。-略-」

ノーベル賞の推薦人・長岡半太郎。下「」引用。

「長岡先生御自身は、誠に残念ながらノーベル賞を逸しられましたが、ノーベル賞の推薦人として二十一年間の長さに渡って活躍されました。これは本当に責任だけが重い、得の無い仕事です。後年、「湯川先生にノーベル賞を」と推薦されましたが、それは全くその業績によるものであって、国籍などを配慮した姑息な考え方から出たものではありません。その証拠に、長岡先生が推薦された人は、時期は前後はあれ、その全員がノーベル賞に輝いているのですから、如何に公平無私に推薦されたかが分かります。-略-」

長岡半太郎の時代……。下「」引用。

「司馬遼太郎さんの本を読んでごらんになると分かりますが、松山にいた「正岡子規」などは、東京へ出て、如何にして自分を日本一の存在にまで高めるか、そのことばかり考えております。-略-長岡先生も同様でした。-略-」

ハイゼルベルクの理論……。下「」引用。

「ハイゼルベルクは、「不確定性原理」という考え方を元に、それまての人類の自然観を根柢から覆しました。-略-自然も同じように「まばたき」します。ホンの一瞬、極めて短い時間であれば、エネルギーが創世されることも拒みません。エネルギーの保存則に反することなく、一瞬の間、エネルギーの貸し借りをやって、この世界に新しい粒子を生み出し、そして素早くそれを消し去ってしまうのです。」

朝永の「超多時間理論」……。下「」引用。

「要するに、位置と同様に時間を表す変数も粒子のそれぞれに対応したもので無いと、相対性理論の要請にうまく応えられないわけです。このため、ディラックは、粒子のそれぞれに独自の時計を与える理論、「多時間理論」を提唱しました。
 しかし、このままでは空間に至る所で生成消滅を繰り返す、流転の世界を記述するのにはなお充分ではなかったのです。そこで、朝永先生は、空間の各点各点に独自の時計を与える理論、「超時間理論」が造られたのです。-略-」

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すばらしい原子力

2009年05月05日 | 読書日記など
『すばらしい原子力』
   市場泰男・著/さ・え・ら書房1955年

科学を“おもちゃ”のように考えていた時代?
--でも、そんな時代にもまともな人はおられたと思うが……。
残念なことに、この本は科学を“おもちゃ”にしているようにボクには思えてならなかった……。



--地獄爆弾
ヒロシマ・ナガサキ
水爆、どちらも滅びる……

そのどこが、すばらしい原子力なのか?

といっても、この時代にこのように書いてる人は多いことだろう……。

--道具は道具でしかありえない。

すばらしくするのは、人間の思考であり、理性であろう……。

高木仁三郎などがいうように、原子力発電は、人類が扱えるシロモノではないだろう。

そして、こんな無茶なことも書かれてある。下「」引用。

「もっと大じかけにいって、お天気や気候をわたしたちの自由にできないものでしょうか。原子の力で、雲や風むきを自由に操縦し、晴にしたいときは晴、水がほしいときは雨、と思うままに天気をかえられたら、どんなにべんりでしょう。-略-」

こんな世界観をもっている科学者は危険としか思えない。

地球温暖化は単に二酸化炭素の排出の問題だけではない。

原子力は環境に悪く、そして危険であり、経済的にもよくない!

こんなものが素晴らしいという人たちは、何を考えているのだろうか?

理想というヴィジョンではなく、つまり保身をしているのだろう……。

国策以外に原子力はすすめることはできない……。

ゆえに、癒着体制をとる日本にとっては、便利なものだろう……。

--この時代にそんなことをいう人は少なかったことだろう……。








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Palbooks 青春の発見-若き日の読書-

2009年05月05日 | 読書日記など
『Palbooks 青春の発見-若き日の読書-』
   斎藤次郎・著/教育出版1977年

いろいろな本をとりあげている……。
--青春というものの定義も、読んでいて、この著者の場合、熱病じゃないのか?
そんなことさえも思ってしまった。



なんで、表紙に女性の裸像が必要なのか?

この本は、ボクには理解できないし、どうしてこんな感想が出てくるのかも理解できない……。

ただ、原爆関連の本のリストにあったので、手にした本である……。

それは、井上光晴の「地の群れ」が取り上げられていたからだと思う。

はやり者に手をだしただけで、原爆についてのことを書いているわけではないようにボクには思えた……。
下「」引用。

「ぼくたちの立つ地点は、繁栄の中の「地の群れ」ではないのか。たとえば、登場人物のひとり、浦上天主堂からマリアの首を盗んだ津山信夫の怒りと混乱は、体験の特殊性をこえて、ぼくたち自身の内部の等価を照し出し、ぼくたちにつきつけるのだ。」

つきつけられたからといわれて、受ける必要もないものもあると思う……。

社会問題として、きちんと把握して書かれた小説にはとうていボクには思えなかった……。

騒がしい、今のマスコミとかわらない小説のように思えてならない。

大切なのは、きちんとした態度と思考ではないか?

怒りや混乱を単につきつけて、扇動してはいけないとボクは思うが……。

地の群れ


太宰治も高校時代で全部よんだが、年をとるほどにアホらしく思える作家でもある……。下「」引用。

「太宰は、『人間失格』を書くことによって、そのことのうちに、描かれた自分自身とは別種の強靱さを示したのである。」

元から彼は強靱だろう……。

都合のわるいことは考えない部類の人間に思えてならない……。

それに怒りさえ感じる人物でもある……。

--若いころは、すばらしい表現をとれる作家と思えた。

しかし、「名匠の刃はきれない」という言葉も理解できなかった若いころのことだ……。

きれすぎるというのも、真実から遠ざかるものになるだろうと今のボクには思える……。








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岩波ジュニア新書292 生きることと学ぶこと

2009年05月05日 | 読書日記など
『岩波ジュニア新書292 生きることと学ぶこと』
   早乙女勝元・著/岩波書店1997年

「保身と理想」ということが、読んでいて、なるほどと思えました……。



相手は14歳……。 下「」引用。

「一四歳の夢
 その日その時、私は数人の中学生を相手にしていました。
 学生や生徒たちに話をしに行く機会は少なくないというものの、大学や高校がほとんどで、中学はないわけではないが、これまでに何校もあったことだろう。その某中学に関していえば、私が放しをしに行ったのではなくて、逆に聞きに行ったのです。-略-」

「保身と理想」というタイトルがあった……。

そこで、命題がある……。下「」引用。

「「君はいま、なんのために学んでいるの?」
と、念のため、もよりの中学へ通う生徒たちに聞いてみたとしましょう。一体どんな声が返ってくるのでしょうか。」

子どもだけの責任ではない、背景も考える著者……。下「」引用。

「現在の点数主義は、金やモノに執着する価値観と結び合っているのです。いまやバブル景気ははじけとんでしまい、どこまでもつづくぬかるみぞの不況で、安定した進路をという気持は、北風のなかを行く旅人が重ね着したいのと同じで、それを全面的に否定することはありません。しかも、こんにちの受験戦争はもはや極限状況まできている、と指摘する人もいます。-略-」

保身を考えすぎて失う理想……。下「」引用。

「保身とは、保つ身と書きますが、要するに自分の地位や名声、身分などを守る姿勢のことです。守りは、したがって保守になりがちです。まだ何もかもが未知数で、地位や名声や安定などとまったく無縁であるにもかかわらず、今からそれにばかりこだわっていけば、急速に失われるものがあります。理想です。」

「ナチのエリートたち」 下「」引用。

「SSとはドイツの娘たちにとっては、憧れのまとでした。
 そんな若者たちが、たとえ上からの命令とはいえ、こぞって殺人施設の運営に精魂を傾けたとすると、かれらの教養とか学問とかは、一体どのようなものだったのか。もちろん戦争という機構(メカニズム)が、かれらをして殺人専門サイボーグに変質させたのにちがいないが、だからといって私たちは、SSの非人間性だけを責めるわけにはいかない。」

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それは日本にも、731部隊とオウム事件があったからという。

1992年、「中三 五少女、集団自殺」という事件がとりあげられている。

アンネ・フランクの一家が隠れ家に住んでいたころ、支援してたミープ夫妻と対談したときのことが書かれてあります。

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レッドパージの時……。下「」引用。

「啄木や賢治が生きていたとしたら、なんと言ったことだろう、などと考えているうちに、たちまち全国のデモ・集会が禁止され、レッドパージの嵐は全職場へと拡大し、『アカハタ』は無期限停止となり非合法化、国内体制は憲法をないがしろにして、もの言えば唇寒しの、まるで戒厳令下のような重苦しい状況になってきたのです。」

アリアス元大統領との対談したことも書かれてありました。








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