磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

『パンセ』パスカル著

2007年02月09日 | 読書日記など
『パンセI&II』
    パスカル(著)/前田陽一、由木康(訳)/中央公論社2001年

若き日の永井隆博士は唯物史観だったという。それを変えた本。それが本書であるという。
しかし、この本は未完書だともいう……。



まず、読んで一番印象に残るのが、神は理性を超えたもの、理性で知ろうとしても、それ以上であるから、知ることはできないという。

別に特殊なことではなく、これがキリスト教神学の本流ではないかとボクは思います。

この当時は宗教改革がなされた後であるという。

この本の著者パスカルのカトリックとはある意味、異質のイエズス会。
イエズス会は自由主義だったという。

それに対して闘いをいどんだものでもあるという。
しかし、未完書でもある……。


ブレーズ・パスカル(一六二三-六二)は、科学者として出発した。
パスカルの定理をうみだした物理学者でもあるという。

未完書であるためか、三つの版があるという。ラフェマ版、セリエ版、ル・ゲルン版。

科学者として、澄んだ目で神学をもみておられたようです。下「」引用。

「だから、あらゆる原理を見るために、よく澄んだ目を持たなければならず、知りえた原理に基づいて推理を誤らないために、正しい精神を持たなければならない。」


しかし、何が澄んだ目かというのは、抽象的だと唯物史観の方はいうことでしょうね……。
だけど、この当時は唯物史観は生まれていないかもしれない。
でも、商業などでは唯物史観で生きておられたことでしょうね……。
唯物史観を最初にいったというプルードンは工場の経営者でもありました……。
しかし、彼の場合、数値で経済学を理解しようというものだったそうです。
世の中全体をそのような見方だけでいようとされたわけではありません。

この本では書かれていませんが。
哲学という分野は最初、神学を理解するためのものであったという。
「哲学は神学のはしため」……。

哲学はもろもろの学問、物理学や数学もそのうちに入っていた。
それから、分かれ専門化されていく……。

しかし、ものごとは、バラバラとは限らない。下「」引用。

「 多様性。
 神学は、一つの学問である。しかし同時に、いったい幾つの学問であろう。人間は一つの実体である。しかしもしそれを解剖すれば、いったいどうなるだろう。頭、心臓、胃、血管、おのおのの血管、血管のおのおのの部分、血液、血液のおのおのの液体。
 部市や田舎は、遠くからは一つの都市、一つの田舎である。しかし、近づくにつれて、それは家、木、瓦(かわら)、葉、草、蟻(あり)、蟻の足、と無限に進む。これらすべてのものが、田舎という名のもとに包括されているのである。」


広島原爆記-未来への遺書-









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原爆の思い出の手記と故人の遺稿集 忘れな草 第三号

2007年02月09日 | 読書日記など
『原爆の思い出の手記と故人の遺稿集 忘れな草 第三号』
   調来助・編/旧長崎医科大学原爆犠牲学徒遺族会s44年

この本も、私が住む市に、
「原爆小文庫」があるから、読めた本です。



そういう本であるからか、
「原爆小文庫」をつくらたれ長岡さんに
「調来助」さんが書かれた手紙がはさんでありました。

この冊子には永井隆博士のことも書かれてありました。

愛国心について書かれてありました。下「」引用。

「各人に共通した点は、当時の青年が皆堅実な思想を持ち、熱烈な愛国心に充ち満ちていたことで、この点は現代の青年と異なり、甚だ頼もしく感ぜられた。(調記)」


人を殺すのではない、人を救うための愛国心も悪いのだろうか……。
すべての愛国心が悪いとは、ボクには思えない……。

新春の朗報というタイトルで、靖国神社に合祀されることが書かれてありました。下「」引用。

「新 春 の 朗 報
 昭和四十五年の新春に当り、耳よりな朗報がございますので、遺族会の皆様へ御披露申し上げます。
(一) 去る一月二十五日に、東京在住の長崎県選出自民党代議士倉成正様から、長崎大学宛にお電話があり、旧長崎医科大学附属看護婦養成所の原爆犠牲生徒は、医学生や薬学生と同様に処遇され、死亡した生徒の靖国神社合祀、その遺族に対する七万円宛の見舞金下附が決定したそうで、これで年来の懸案が解決され、いささか私共の面目も立ち、洵に欣快の至りである。」

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また、永井隆博士が勤務されていた物療科看護婦(*今は看護師)さんの写真と、遺族の方の文章もありました。

こういう小説などとは違う。
大学の方とはいえ、一般の方が書かれた文章を読んでいると、やはり実際あったことなんだと再度認識し、実感がわきます……。

配属将校室勤務という職務もあったようです。

学校に将校がいる……。

そんな時代もあったんですね……。




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110ディ・ケア・センター

2007年02月09日 | ライト小説
アカネさんシリーズ001
恋のタイムマシーン

十、アンパンじいちゃん



110ディ・ケア・センター


「二階は車イスの生活者と、原則ではなっていますが、そうでない人もいます。寝たきりの人もいますし、年々、重度化するようです。これは医学の進歩のせいだという人もいます。この二階の風呂はリフトを使って介助します。やはり、寝てはいるよりも、椅子にすわって、風呂に入るほうがいいそうですよ」

「そうかもしれないわね。日本人にとってはね」

「これから、デイ・ケア・センターにいきます」

「老人の幼稚園ね!」

「そういうと、おこる老人もいるんでよす。馬鹿にするなよ! ってね」

「そんなにおこる必要ないのに。人間いくつになっても、楽しいことは楽しいわァ〜」

デイ・ケア・センターにも、機械の風呂があった。

「ここの人たちは二週間に一度くらいしか、入浴できないのですよ。いっぱい、入浴したがる人たちがいるのですよ。救急車があるでしょう。あれで送迎しているのですよ。ある日、二週間も風呂に入れるとその日を待っていたのに、血圧が高くって風呂に入れなくなって、帰る老人はとても悲しそうな顔をして帰られるのですよ」

「そうでしょうね。二週間も風呂に入らないなんて、たまらないわ」

「そうでしょうけど、家庭では、タオルをお湯につけて、しぼってそれで、体を拭いてあげています。それを清拭(せいしき)といいます」

「そうですか。でも、やっぱりお風呂がいいわよね」

「そうですね」

お風呂に入っている老人が、

「気持ちいいね」

うれしそうな顔である。

付き添いの家族の人も、

「気持ちいいわね」

と、うれしそうな顔をしている。

老人なると、風呂にさえ、自由に入れないのかと、入浴なんかが宝のように思えるのね。








閑話休題

ラジオで教師の指導として、

体罰ではなく、放課後残らせ

教師と話しあうなどができるそうです。

今まで、何をやっとんねん!

それにや、教師の指導をペナルティーみたいに

思っているのが腹が立つ!

教師の指導はサービス。

奉仕だよ!

上から罰するだけの教師に、

指導なんてできるとは思わない。

それに、内閣関連で決めたら、

それでいいなんて……。

そんなんじゃ、おかしいんじゃないか?










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