オセンタルカの太陽帝国

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小笠山と砦と天狗。

2008年02月18日 23時16分59秒 |   お城巡り


遠くから見た小笠山

横須賀城もステキでしたが、あまりにも立派すぎるので「山城巡り」好きな私としては気おくれも感じてしまうのも事実です。結局のところ、横須賀城が戦闘の場となったことは無かったんですよね。ここに城を建てる直前?の天正5年8月には、家康は息子の岡崎信康とともに出撃し、横須賀で武田勝頼の軍を打ち破っているのですけど。その2年後には家康は息子を自殺させていますから、横須賀は親子の最後の安らいの場所であったかもしれません。(おおっ、そそってきたぞ!)

が、ともかくこの付近には城が多いので、ついでに別の場所も巡ってみることにします。一番近くには何といっても名高い高天神城がありますが、あそこも立派すぎて気軽に廻るのはムリなので(2回行ったことあるし)、せっかくなので小笠山の山頂を目指します。そこには城郭(小笠山の六砦のひとつ)の他に奈良時代からの由緒ある小笠神社と、それからそれから天狗伝説がひとつあるんですよ♪

何度も言いますが、小笠山は不思議な山です。高さがほとんど無いかわりに、その山麓は異様に広大です。地形はなだらかでのどかな茶畑が延々続いているかと思えば、険しい谷や奇景が突然現れたりします。無数の入り組んだ谷があり、標高が264mしか無いのに修験道の場になっていたという。今ではエコパというサッカーグラウンドがあり、サッカー王国・静岡の文化の本拠基地となっています。心霊現象もとても多いらしい。…と意気込んで行くと、あまりの緊張感のない牧歌的ななだらかさに拍子ぬけしてしまったりして。

「高天神城からの武田軍の東進を防ぐために横須賀城を建てた」と書きましたが、山に慣れた甲斐人だったらこんな緩い山、平気でヒョイヒョイと駆け越えることができるんじゃないでしょうか? そんなことまで考えさせる。ちょっと謎の山。

小笠山の頂上付近には公園とビジターセンターとハイキングコースが整備され、頂上付近まで車で行くことができます。駐車場から小笠神社まで200段ぐらいの階段を上がるだけ。この神社は熊野の神社の流れだそうですが、小さいけどなかなか雰囲気がよろしいです。

が、簡単に登ってきた分、そこから辺りを見渡してびっくり。なんだかこの神社、異様に切り立ったところに立っているぞ。低い緩いと舐めてたのに。登ってからびっくりするというのもなかなか変な感じです。上から見ると、修験の山だったというのも納得です。低い緩いと思っていたのに~~。(しつこい)

切り立った意外と険しい山並み。…写真だとあんまりよく分らないか。

山頂から牧の原台地・御前崎方面を見る。左下の山塊(というほどでもない)の向こう側に高天神城があるはずなんですけど、私にはちっともわかんない。でも、低い山と海に囲まれた景色っていいよね。伊豆をちょっぴり思い出して、君はシクシク泣きだしてしまいます。

来て初めて、「こんなところにも城を作っちゃうなんて家康はすごいな」と思いました。この小笠神社が、家康が高天神城を取り込むように作った6つの付け城の中で最大規模を誇る「小笠山砦」(笹ヶ峰御殿)の入口です。「御殿」の別名がある通り、家康は山砦なのであるに関わらず豪華御殿建築物を作っちゃったんですって。(もちろんその建物は現存しませんけど)

家康が作った6つの砦とは、高天神城から近い順番に、

  • 三井山砦(天正9年3月の包囲戦では酒井重忠が守る)
  • 中山城山砦(大須賀康高)
  • 火ヶ峰砦(大須賀康高。康高がんばりすぎ)
  • 能ヶ坂砦(本多康重)
  • 獅子ヶ鼻砦(大須賀康高)
  • 小笠山砦(家康本隊、石川康通)

です。いずれ全部廻るぞー。
で、今日はふつうの日曜日なのにかかわらず、社前に巨大な国旗が掲げられ、大勢の地元の方々らしき人たちが参集して、何やらやっておりました。「お祭り?」と思って見てみたら、そこいらにポスターが貼ってあります。

おお、やはぎ祭。天狗だ~、と喜んだのですが、よく見たら11月3日じゃないですか。結局あの人たちが何の作業をしているのか分からず。今日ってただの日曜日だよねえ? いいもん、私の目当てはこの奥のお城だから。

神社の奥にある社務所の先に、さらに奥へ通じる入り口があります。そこに入ってしばらく歩きましたが、どうにも城砦らしい雰囲気が感じられず(あとで調べたら入口から十分すぎるぐらいお城だったのでしたが)、「あれ?」と思っていたのですが、次第にいろいろなものが目に入ってきます。わかる! わかるぞ! 土塁や竪掘・横掘や切れ込み、堀切、掘平地等が、これでもか!というぐらいに並んでいます。わたし、かなり勘が鈍いので「見ても分らなかったらどうしよう?」と心配していたのですが、これはすごいです。おなかいっぱい。

写真だとただの荒れた山にしか見えないのだと思いますが、実際にこれを目の前にしたときの感動はかなりのものです。私は縄張り図を事前に頭に叩き込んで歩いてましたものでね。えへへ。ま、そうはいっても「横堀と堀切と竪堀の違いを説明せよ」とか言われたら怪しいものですが。(でっ、できるよっ、そのくらいの説明くらいできるったら。本当だもんっ) えへへ。

本来なら縄張り図も示して、その巨大さを説明するべきでしょうが、…描くの大変そうだなぁ。ただ本のをコピーしてもつまらないし。現地に看板とかがあればそれを示すのはやぶさかじゃないんですけど。(自分が行ったという証明になるから)。…えっと、…いずれすごいのを描きまっす。

このお城で特筆されるべきは堀の多さです。それも特大に長い横堀が。水野氏の御本に載っている縄張り図には長横堀は5本書き込まれています。
で、その同じ本に「山城の横堀は比較的新しい技術で、遠江では永禄12年以降に初めて現れ、徳川氏と武田氏の城双方に認められる」とあるのです。へええええ~~、お城に堀を作るのは当り前のような気がするんですけどねぇ~。たてよりも横の方がなおさら。「山城に」ってところがポイントなのかもしれませんね。徳川と武田がほぼ同時期にその技術を採用したって言うのがおもしろいですね。
ただ、私の見たところ、武田城砦での横堀は幅が大きくインパクトのありそうなものであるのに対し、徳川のものは幅は狭いけどやたらと横に長いのが特徴であるように思います。長横堀が徳川流? これに対して非常に長い竪堀が北条流かしら。いや、障子堀が北条流か。あと武田の場合、「堀が」ってよりは「丸馬出し」ですよね、一番の特徴は。家康は長横堀はこんなに一生懸命作っているのに、馬出しはほとんど信玄に習わず、あまり作っていないことも面白く思います。そう考えながらこのお城の無数の掘り込みを眺めるのは楽しいです。…長くて細い横堀ってどのくらい役に立ったんだろうか。
おっともちろん、小笠山砦には他にも幅の広い横堀・二重空濠・竪掘などなど、いろんなものがてんこ盛りで見どころいっぱいですよ。

 

この城跡のほぼ中央部(主郭)に「笹ヶ嶺御殿」跡があり、そこと続いて「多聞神社」があります。これが戦いの守護神・多聞天(=毘沙門天)を祀る神社なのかと思いきや、実は「多聞坊」という名前の天狗をおまつりする祠なんですよ。先ほどのポスターに描いてあった天狗(じゃなくて少年の方)ですね。

磐田市・袋井市・森町のサイトより
今から340年程前、芝村(現・浅羽町浅羽)に小太郎という少年がいました。幼い頃から横笛が上手で、近所でも評判でした。
ある日小太郎は、小笠山の天狗は笛が好きだという話を聞き、笛一本を持って山に登りました。神殿に着き笛を吹き始めると、社の扉が開き、天狗が現れました。天狗に笛をほめられ、今から天狗になることを勧められた小太郎は、天狗は死なないと聞いている、ずっと生き続けられるならと天狗になって困っている人を救おうと決心しました。修行が始まり七日後、小太郎は天狗多門天という名前をもらい、小笠山の守護役となりました。
小太郎が山に入って数年が過ぎたある夜、父親の枕元に天狗が現れました。小太郎です。すべてを父に話した小太郎は、苦しんでいる人たちを助ける為、山中に神社を建てて欲しいとお願いしました。
あくる朝、早速みんなに昨夜の夢の話をした父親は、大勢の職人たちと山にこもり、頂上近くに多聞天神社を建てました。
その後、村に病人が出ると天狗が夢に現れ、治療方法や薬の作り方を教え、大勢の人の命を救ったといわれています。
(※参考;掛川市のサイト

大事なことは、小笠山に現われて「天狗にならないか」と小大夫を誘った大天狗は秋葉山三尺坊だとされていることです。ポスターでは大天狗は鼻高さんですけど、多聞天のほこらには天狗の絵がいっぱい貼ってありまして、そこに描かれている天狗はみんなカラス天狗です。

北遠には天狗の住む山がいっぱいありますが、かれらはわざわざ頻繁にこの小笠山に表れて、遊んでいたんでしょうかね。中世の修験道のネットワークが垣間見れるようで興味深くあります。
11月に行われるという「矢矧祭」も、この天狗と絡みつけられて認識されているようです。

(※参考


多聞神社の前の地面には大量の矢が。
なかなか鬼気迫るものがたり、高天神攻めの祈願に絡めて語ってもいいぐらい。

が、この祭りがこの山一番の盛大な祭りなようですが、小坊主・小大夫が天狗になって祠が建てられたのは江戸時代の初め。それに対して小笠神社は奈良時代に建てられた由緒あるもので、祭神は事解男尊・伊弉册尊・速玉男尊。それがいつのまにか天狗に山をのっとられてしまったみたいで、可笑しいですね。…しかしもっと詳しく説明文を読んでみると、矢矧祭自体は南北朝時代の落ち武者たちの祭りだったみたいで、、、、、、 次第にわけわからん。なんでこんな年代の離れた3つのものが一体化してるんだ。

とにかく、小笠山は非常に大変極めつけにとても気に入りました。
また(心霊現象目当てに、夜)こよ~~うっと。

せっかくなので、掛川市で久しぶりにラーメン。
国道一号線ぞいのファミリー向けっぽい「若虎」というお店です。

名前忘れたけど「特製チャーシュー盛り合わせラーメン」とかそんな感じ、840円。
特製のチャーシューが、バラ肉、ロース肉、トロトロ、照り焼き鶏、4種類。トリ肉がチャーシューかどうか知りませんがテンコ盛りです。値段から見てそれぞれ1個計4つかなと思ったら、各種数切れずつ入っていてとても食いでがあり、チャーシュー好きとしては感激でした。スープは万民向けに後味を強く残さないようにしてあるのかな、惜しい、と思いましたが、でも十分に好みな味の範疇にありました。残念ながら麺がとても細かったのですが、歯応えはある麺だった。「またラーメンを存分に食べられる身分に戻りたい」、そう強く感じました。

 

この記事を書きながら、いろいろなお城サイトを参照したんですが、ほんとに数が多く、どれもが充実してますね。お城好きな人は几帳面な人、そしてチャレンジャーな方が多いです。私がその中に割って入ってできることなんてたぶん無いや。どうしましょう? とりあえず私なりのやり方を見つけることを宿題としておきます。むーー。
小笠山城については、縄張り図・鳥瞰図を掲げているサイトは無かったので、とりあえずそれを描いてみますかな。(たぶんとても大変)。


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