ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




宮島電気商会。台東区台東3-18。1989(平成1)年1月29日

昭和通りの裏通りで、写真奥に行くと 喜楽の角に出る。1986年の住宅地図と写真から、手前から、新隆社、宮島電気商会、しもた屋?、㈲コバヤシ。その先は路地で区切れて下の写真に続く。銅板貼りの看板建築が並んでいる。手前の新隆社の建物は今も残っていて、それを見ると看板建築である。宮島電気からの3軒は看板建築の三軒長屋のようだ。そこは現在、藤和シティコープ御徒町(6階建て18戸、築年=1992年4月)というマンションに替わったが、その一階に宮島電気商会が入っている。


新月。台東3-39
1988(昭和63)年4月10日

1枚目写真の電柱の右に見えている3軒。左から、路地との角にある森田屋商店(酒店?)、東京ラッキー、新月(和菓子)。古い航空写真を見ると、これも三軒長屋の店舗らしい。現在は2戸の3階建て住宅に替わっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






喜楽。台東区台東3-46
上:2008(平成20)年3月1日
左:1989(平成1)年1月29日

昭和通りの台東三丁目交差点から東へ、清洲橋通りへ抜ける通りに入ってすぐのところ。角に中華料理・喜楽の三軒長屋の看板建築が今も残っている。1989年に撮った写真を左に載せた。建物は20年間、変化はないが看板や自販機、歩道の舗装などが変わっている。喜楽で出す料理は、おそらく何十年も変わりないのだろう。つけ麺などはメニューにないような気がする。右奥の一戸の二階の窓に、ガラスが入っていないように見えるがいいのだろうか。

下の写真は喜楽の長屋の横の路地。下左の家は喜楽の長屋の右奥に隣接している平屋の店に見える家を路地から撮ったもの。その家の隣は青い波トタンの平屋の民家。この二軒はまだ現存している。さらに奥には二軒長屋。


喜楽の横の路地。台東3-46。左:2003(平成15)年11月16日、右:同年10月23日



三軒長屋の元店舗。台東3-46。2003(平成15)年10月23日

喜楽の隣が相馬ビルで、その隣にあった三軒長屋の看板建築。ストリートビューではまだ見られるので、最近取り壊されたらしい。右写真はその裏側。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )





田原町ビル。台東区西浅草1-8。1988(昭和63)年5月1日

昭和61年5月に解体された「仁丹塔」が乗っていたビルである。その名残りのように、屋上に大きな仁丹の看板を置いているが、これは広告塔があったときからあったものだ。最初に仁丹塔が建ったのは1932(昭和7)年で、そのときも、写真のビルの上に組上げたと思うのだが、戦前の塔の写真は見たことがない。田原町ビルは押上げ窓や階段室の丸窓などから戦前に建ったものと思われるが、なにも判らない。
最初の塔は1944(昭和19)年に「金属供出」で取り壊された。空襲で焼け崩れる前に取り払ったのだろうか。戦後の1954(昭和29)年になって、塔は再建される。仁丹は昭和50年頃までは割と普通に多くの人がもっていた。
ぼくは知らなかったが、仁丹塔の下に蛇屋があったという話を聞く。「フクチャン」というのがその店名らしい。上の写真、ビルの1階右側に「フクチャン本店」の看板が読める。『My favorite things 2013>蛇屋さん』では「福ちゃん」、『落合道人>新十二階がそびえていた交差点』では「ふくちゃん」の表記だが、いずれも蛇料理の店としている。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )





安井商店。台東区雷門1-15。1986((昭和61)年10月26日

雷門通りに、今では「本屋総本家浅草雷門店」の店舗になって残っているビル。安井商店は皮革工具を扱う店ということだが、今は後ろの2階建ての家(住居として建てたのだと思う)で商売をしている。大通りに面した店舗を飲食店に貸して、経営は安定していることと思う。
『日本近代建築総覧』に「建築年=大正12年?、構造=RC3、年代は不明確」で載っている。なにやらなにも判らないらしい。雷門通りに向かって建っている他の建物と位置がそろっているから、関東大震災後に通りを整備してから建てたものではないかと想像できる。外観は大正時代を想起させるものがある。
雷門1丁目の西半分は、以前は浅草田原町という町名で、地下鉄の駅名は「田原町」のままだからこの町名も半ばまだ生きている。浅草ゆかりの文学者、久保田万太郎が生まれたのが浅草田原町三丁目(現在の雷門1-15・16)で、雷門永谷マンション(竣工=1977年、10階建、56戸)というマンションの角に文学碑が立っている。このマンションが建つ前は協和銀行雷門支店だった。『総覧』に「協和銀行(旧貯蓄銀行)、建築年=昭和13年、現在取壊し中、葉書による回答」で載っている。
安井商店の隣の「宮師宮嶋」は、ネット検索すると川口市の仏具店として出てくる。写真の店はその東京支店? あるいはここから移転した?

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




子宝湯。足立区千住元町3
1988((昭和63)年12月11日

千住柳町に、その町域を南北に分けるような割と広い道路があるが、その道路が千住元町にぶつかる先は狭い路地のようになってしまう。その路地の突き当りに子宝湯があった。路地は子宝湯の玄関の前で左右に通じているが、なんだかいかにも下町の銭湯にふさわしい立地だった。江戸東京たてもの園に移築されたが、そこでの写真を見ると大通りに面して建っているような塩梅で、建物の全体が見通せる。千住元町にあった時とはだいぶ見た感じが異なる。
下町といっても千住柳町は昭和33年4月に売春防止法が施行されるまでは遊里があり、その街に正面を向けていた形だ。そこで働く女性も客の男性も、この銭湯を利用したのだろう。
子宝湯の開業は1929(昭和4)年10月。主人の出身地石川県から職人を呼んで、思いきり贅沢に普請したという。それが消えてなくなることなく、保存されたのは喜ばしい。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »