ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




ぽんた。台東区根岸4-1。1991(平成3)年9月23日

当ブログ前回の「スリーエイト」の写真とあまり変わらないが、レンズが少し柳通りの方向に向いてそこの看板建築の店が見えている。「ネギシ書房」と洋菓子の「ヤナギヤ」だ。根岸の柳通りにあるから文句の付けようがない店名だ。
柳通りが今の道幅になったのは昭和12年頃という。それ以前は4m幅ほどの狭い横丁だったらしい。明治34年の「東京下谷根岸近傍図」には「あんらくじよこ丁」と記されている。安楽寺の山門は写真左奥へ少し行ったところにある。



ヤナギヤ菓子店。1989(平成1)年3月19日


現在もヤナギヤ、ネギシ書房、ぽんたは建物も変わらず健在。金杉通り沿いにマンションが何棟も建って空を隠してしまった。
2008(平成20)年5月7日

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スリーエイト。台東区根岸4-1。1989(平成1)年3月26日

金杉通りの柳通り交差点で、写真右手が三ノ輪の方向。角の家に「スリーエイト」という喫茶店と2階に「ぽんた」というお好焼き屋。その右が「花の音」という喫茶店で、看板で1967年の開店とわかる。次の二軒分がやきとりの「鳥平」。
現在、角の家はスリーエイトに替わって「渥美組」の看板がかかっている。「現場作業員大募集」の看板もあって建築工事関係の会社らしい。「花の音」は建物表面を改装した。鳥平はマンションに建て替わっている。


鳥平
根岸4-1
1991(平成3)年9月23日

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酒の店・ふじ。台東区下谷2-10。1989(平成1)年3月26日

金美館通りの小野照崎神社の向かいである。写真右の車両通行禁止の横丁を入ると鶯谷アパートにぶつかる。写真右の家は住宅地図で「安全商会不動産」だが営業はやめたようだ。現在、この家はなくなって、家並みの後ろの法昌寺の庭になっている。ということは写真の家はみな法昌寺の家作なのかもしれない。居酒屋のふじも今は商売をしていない。


二軒長屋
下谷2-11
2006(平成17)年4月9日

金杉通りの根岸3丁目交差点の南にある路地を入って金美館通りの小野照崎神社のところへ抜ける路地にある二軒長屋で、今も残っている。この細い路地は明治の参謀本部測量図に出ている古い道である。鉄パイプの足場は工事用ではなく、どうも家を補強しているもののようだ。

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速水清新清心寮。台東区下谷2-2。1991(平成3)年6月30日

言問通りと昭和通りが交わる入谷交差点からちょっと入ったところにあった。現在は写真の家の南にあったハヤミズの駐車場と共に「ハイホーム入谷」という、言問通りに面した大きなマンションになった。
住宅地図では「速水清新清心寮」となっている屋敷。ハヤミズ家具センターが取得していたらしい。昭和22年の航空写真に写っているから戦前に建てられていたと思われる。この家の向かいは戦災で焼失している。



家の東北の四つ角から。左の道を行くと言問通りに出る。右の道は鶯谷アパートの前を通ってやはり言問通りに出る。写真右端に鶯谷アパートの3階の窓が認められる。1991(平成3)年9月23日





門の表札は「速水」。1991(平成3)年9月23日

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京橋消防署銀座出張所。中央区銀座7-11。左:1987(昭和62)年10月4日、右:同年12月27日

現在の銀座出張所は1992(平成4)年2月に竣工した。写真のビルはその前の建物。
『日本近代建築総覧』には「京橋消防署、S4、RC3、塔屋付」。『京橋消防署>消防署の紹介>あゆみ』に竣工時の写真が掲載されている。塔屋といっても鉄骨を組み上げた火の見櫓である。建物が完成すると京橋消防署の本署として使い始めた。
『京橋消防署70年のあゆみ』という本には『新築落成記念写真集』(表紙に「銀座消防後援会」とある)からと思われる工事概要などが載っている。けっこう面白いので下に「京橋消防署沿革ノ概要」と「庁舎設計工事概要」を収録した。
工事概要の位置が大震災以前のものだ。消防署の裏は当時はすぐ三十間掘で、その河岸地に建てたのである。同時期に横の道路に賑橋を架橋した。建築様式を「近世式」としている。

1986(昭和61)年9月7日

20年以上前の写真だが、当時でも写真の消防車はすでにクラシックカーに近い。防災訓練とかなにかのイベントの時にでも出動するような感じだ。1985年に撮った写真にも写っているので、銀座出張所が定位置だったのだろう。

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和裁や。中央区日本橋小舟町12。1989(平成1)年10月1日

小倉ビルの向かいを北に入った横丁。写真左の鉢植えで囲ったような家は元は煙草屋だったようだ。写真中央の家の看板は読み取れない。1986年の住宅地図では空家だ。写真右の和裁や(和裁材料店)の家は今も残っている。


野口商事倉庫。日本橋小舟町13。左:1987(昭和62)年頃、右:1989(平成1)10月1日

1枚目の写真のひとつ北のブロック。コンクリート造、陸屋根の倉庫である。昭和30年頃の火保図では「武田薬品倉庫」、昭和7年のでは「市ソーコ」。左写真左奥のビルは田村医院
ストリートビューでは足場とカバーがかかっているから今頃は取り壊されていると思う。田村医院とそのとなり家の跡地は駐車場のままになっているので、倉庫の裏側が撮れたはずだった。

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