ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




新富橋と竹田ビル。中央区新富1-4。1987(昭和62)年12月6日

住宅地図には「日鉄工機/竹田土地建物」という社名で記載されているが、昭和25年頃の火保図に「竹田ビル」とあるので、ここではその名称を採用した。「歴史的建築総目録DB」に『日鉄工業K.K.、昭和2年、木造2、設計・施工=竹田組』としている建物ではないかと思うが、木造にはちょっと見えない。
建築業の竹田組の事務所として建てられたようだ。「Web新富座」の第99回の記事に『(旧回効散ビルの) 建築工事を請け負ったのが地元新富の有力企業の一つである竹田土地建物の前身、(株)竹田組であることがわかりました。』とあり、竹田組が手がけた工事も何件か紹介している。
竹田ビルの左後ろに日本家屋の屋根が見えている。昭和25年の地図に「旅館・升田」となっている建物らしい。邸宅の建物が一時期、旅館になったのかもしれない。



竹田ビル。1985(昭和60)年4月14日



復興稲荷。1991(平成3)年4月21日

写真中央の洋風の家は竹田組の倉庫。鳥居が復興稲荷で、やはり「Web新富座」に『中央区の昔を語る 第8集-小舟町/新富』の記事が紹介されている。
写真右の日本家屋は戦前の地図では「待合」となっている。その建物だろうか。写真右端の空地は同じ地図で「待合・清豊園」、戦後の地図で「料理屋・清豊園」があった場所。


新富橋から東の方を見る
1982(昭和57)年

写真右の通りが新富町のメーンストリートで、撮影時には通り沿いの建物の半ばが戦前建築のものだったのではないだろうか。写真右奥の裏側を見せているビルが喜久屋(旧回効散ビル)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 1 )



« 中央金属/新... 四軒長屋、井... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
 
[建築]新富町の回効散ビルなど (御光堂世界~Pulinの日記)
以前にも少し触れたこの小振ながら装飾がにぎやかな建物は、喜久屋ビルといい、それ以前は、回効散ビルとも全国石油ビルとも呼ばれ、変遷を経てきたようだが、元は森田製薬回効散本舗本社ビルとして昭和3年(1928年)に建った建物だった。中央区新富2-4。 (都市徘徊blog...