ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




春日通りの洋館。台東区東上野1-11。1985(昭和60)年1月

東上野1丁目は春日通りの北側。戦前の木造家屋は見あたらない。南の台東3丁目、北の東上野3丁目は戦災を免れた家が存在するが、その間の東上野1丁目は戦災で焼けてしまった地域だろう。そうすると写真の洋館は戦後の建築なのだろうか。あるいはコンクリート造りで焼け残ったか。



洋館の西面。1986(昭和61)年4月6日

この家の前の通りは春日通りで、昭和46年まで大塚駅前-錦糸町駅前の16系統の都電が運行していた。ぼくは高校に通学していた3年間、この家を都電の窓から眺め、あるいは前を歩いていたのだった。


洋館の正面と北面。1986(昭和61)年4月6日
高津ビル(現存)。東上野1-6。左:1989(平成1)年2月12日、右:2001(平成13)年9月29日

東上野1丁目は旧住居だと、昭和通り側が御徒町3丁目、その東が西町(にしまち)。「御徒町」は地名として普通に使われているが、今では住所としてはない。



古沢医院。東上野1-20。1988(昭和63)年頃

戦後の昭和30年代前半までに立てられた木造モルタル塗りの家。いつのまにかこういう家もビルに立て替えられて珍しくなる一方なので、いまのうちに記録しておいたほうがいいかもしれない。

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コメント
 
 
 
春日通りの洋館 (ひで爺ィ)
2014-06-14 10:04:38
懐かしいですね
小生の御徒町中学への登下校路でした。
もっと幼い頃からありましたが、外壁全てが防水シートを貼り付けた(打ち付けた)ようなものでしたが、台風など雨風には耐えていたからそれなりの専門家が造られたのですね。
当時(S30~35)のうわさですが、
「外人さんがひとりでコツコツと造ってる」というのが通説でした。
みなで金網のフェンスに張り付いてかなりジロジロ見ていたのですが、
だれも住民、あるいはそれらしき人を見たことが無いのです。
 
 
 
なるほど、 (流一)
2014-06-15 09:39:03
外壁材が普通ではないようですね。本格的な家を造ったのではなく、半ば遊びも取り入れて造り上げた、という感じもします。「外人さんがひとりでコツコツと造ってる」という噂もまったくの作り話ではないかもしれません。大人でも、下町の大通り沿いに環境も景観も無視した洋館を建てるとは日本人とは思えない、と感じたかもしれませんね。「謎の洋館」にしては窓が大きいので意外と開放的な感じもしますが。
昭和44年の住宅地図では、ぼんやりした手書きの文字なのではっきりしませんが「井上医院」のように読めます。医院なら納得できる建物です。
 
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