洋風長屋の商店。台東区台東1-38。1986(昭和61)年6月22日
清洲橋通り沿いの六軒長屋。写真右はすぐ蔵前橋通りとの鳥越1丁目交差点になる。入っている店は写真左から、伊豆菊、アサノ薬局、東京報洗舎(クリーニング)、シバタ理容室、ギャル(テントの英字はBUTTON、ボタン屋か?)。
このくらいに装飾があると見ていて楽しいし、建物の格も上がるような気がする。二階の正面の壁が下見板のように見えるが、下の写真の破損した箇所を見るとやはりモルタル仕上げのようだ。
撮影の角度がわずかに異なるだけだが掲載しておく。1986(昭和61)年6月8日撮影
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写真の地区の住民の方、そこで暮らしたことのある方の声が聞けるのは、ほんとうにうれしいです。
いろいろと興味深い情報をありがとうございました。今後もよろしくおねがいします。
流一さまは日本橋にお住まいだったようですが、母の実家は水天宮のすぐ裏手にありました。今も叔父が水天宮近くに店を構えています。
こちらのサイトに折々寄らせていただきたいと思います。
あの長屋に住んでいたものです。
伊豆菊さんは今での健在、三代目がやっています。それとあだち屋不動産も。
懐かしい写真で思わず笑みが出ました。
もっとあるようでしたらぜひ、見せて頂きたいです。
ネットで知りましたが伊豆菊は建て替わったビルで商売を続けているようですね。
写真の長屋は2階の窓がこった造りで他に例を知りません。もしかしてこの写真は貴重な記録なのかもしれないとかってに考えています。残念ながらこの長屋の写真は2枚のみです。
台東区台東と浅草橋はほぼ出しつくしましたが鳥越や小島はこれからです。これからもたまにこのブログを覗いていただければ、と思います。
蔵前橋通り沿いに今はやっていませんが、酒屋があります。そこも
昔と変わらぬ姿ですよ。
2枚目の写真で、シバタ理容室の上の壁に「アメリカン」の文字が残っていますが、なにかご存知でしょうか?
「アメリカン」は以前の店とかではなくて同じ店の昔の名前でしたか。床屋さんとしては変わった名前ですね。
会社の友人が最近見つけて、報告してくれました。
ホントに懐かしく涙が出ました。流一さん!会社の友人に感謝です。ありがとうございます。
昔は、夕方になると隣近所から魚や肉の焼くにおいがしたり、笑い声が聞こえたり、夜になると天井裏でネズミの運動会が始まったりと、ま~にぎやかでした!!
今でも1年に1回の鳥越祭には、地元の連中と必ず本社御輿を担いでいます!
今では、少し寂しい町になりましたが人情あふれる町ですよ!
伊豆菊の鰻は、日本一いや世界一ですよ!!お世辞では、ありません!一度食べてみてください!
鰻が口の中でトロケマス!
ちなみに、鹿島屋は、営業していません。
寒くなってきましたので、皆様お体に気をつけて!!
ゴホンと言ったら、龍○散!!
また、投稿させて戴きます。
写真の長屋がなくなって20年は経つと思いますが、懐かしいといって喜んで頂くと、私もうれしいです。大げさかもしれませんが、このブログを始めてよかったと思うくらいです。
Chatsさんからコメントを頂いた時から伊豆菊にいきたいと思いながらまだ果たせません。
さて、この長屋の裏には、私の家の他に10軒程、密集した家がありました。
全て2階建ての家ばかりで物干し場!今で言うベランダが隣の家と接する位の距離にあり、よく子供の頃は、綱渡りみたいに遊んでいました。
私の家は、表の薬局と裏の家があり、橋みたいな渡り廊下(野外)が架かっていました。今、考えると、ある番組の珍百景になりそうな家でした。
話は、変わりますが現在薬局の場所は、床屋(理容室)になっています。
不思議なものでこの場所には、必ず床屋(理容室)が来るようですね!
ちなみに、昔、居たシバタさんではありません!
それでは、また!
裏の家に行くのに店から外に出て回っていかなくても、直接、通路があるとは! 長屋にはたいてい裏の勝手口があって狭くても路地があったと思うのですが、渡り廊下とは2階どうしを渡していたんですか?