ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




伊勢佐木センタービル。神奈川県横浜市中区長者町7。2009年(平成21)4月5日

長者町通りとイゼザキモールとの交差点角にある戦後の復興期に建てられた「防火帯建築」。不動産サイトでは1954(昭和29)年1月築としている。『横浜の防火帯建築と戦後復興』によると、「昭和29年度事業として、横浜市建築助成公社から助成をうけて六者共同による共同ビル」で、外観の特徴として「3層と比較的低く構えた外観と、長者町通り・伊勢佐木町通りのそれぞれに面したガラスのカーテンウォールが水平的な広がりを強調している。隅切り部にもガラス面があるが垂直に設けられたルーバーの装飾がアクセント。(「融資建築のアルバム」より引用)」とある。長者通り側の入口に「伊勢佐木町 センタービル」の古そうな看板が掛っているから「伊勢佐木町センタービル」でもよさそうだが、同名のビルが他にもあり、当記事では「伊勢佐木センタービル」とした。かつては長者町通りに市電が走り、横浜一の繁華街であった伊勢佐木町との交差点だから、ビルが建った当時はまさに横浜の「中心」といっていい場所だったらしい。



伊勢佐木センタービル。1988(昭和63)年8月6日

伊勢佐木センタービルの長者町通りの並び。昭和末の時代だから今も続いている店はないかもしれない。センタービルの隣は同じ3階建てのビルだがだいぶ高さが低い。その隣は長者町七丁目交差点角の「HDイセザキビル」で1965年4月築。この2棟のビルの裏は、「イセブラ小路」という飲み屋街の路地になっているそうだ。
写真右の映画館は「横浜松竹・横浜セントラル」。1999年に閉館した。今は、外観や内部は改装しているが、建物はそのままでパチンコ店の「キコーナ伊勢佐木町店」になっている。
シネマ・ジャック&ベティブログ>散財劇場vol.03 建築写真文庫「映画館」』によると、「横浜大映」として昭和33年1月に開館した映画館。昭和45年頃「東映」、昭和50年頃「松竹」と変わったようだとしている。その後、観客の減少に合わせて、大劇場を二分割して一方を洋画の横浜セントラルとしたのだろう。

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