ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




吉田花店。台東区上野桜木1-14。1990(平成2)年2月18日

言問い通り谷中霊園入口の向かい側にある花屋。墓参りに来る人を相手の商売だろう。ネット検索では出てこないので廃業したのかもしれない。建物は残っている。
『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁編集、2009年)では「吉田花店、店舗、木造2階建 切妻造 桟瓦葺、建築年=大正」。現在は、引き戸と飾窓の木の枠がサッシに替えられている。



おせん。上野桜木1-14。2005(平成17)年3月31日

吉田花店から東へ、寛永寺陸橋に寄った方にあったおでんの居酒屋。この店を紹介したサイトは多い。『出没!アド街ック天国>上野桜木(2003.11.01放送)』によると、「開業したのは昭和33年、女将の「おせいさん」生駒久江さんは80歳」。女将が高齢のため2009年に閉店したという。当時86歳になる計算だが、そんな歳まで働けたとは羨ましい。
1986年の住宅地図では「おせん茶屋」となっている。そんな看板を掲げていたのだろうか? 手毬歌で知られる「おせんの茶屋」からの店名としてもおかしくはない。『昭和からの贈りもの>4-6.言問通 いまむかし1』に、おせんの横の路地の向かいが「養寿院」という寺で、「笠森稲荷」の本尊が祀られているという。笠森稲荷といえば「お仙」である。
しかし、単純に考えれば女将のご主人の名前(芸名)の「小仙」からの命名のように思う。今も家の正面右のドアの横に「太神楽曲藝/十二代目家元○鏡味小仙」という看板がかかっている。太神楽(だいかぐら)曲芸とはぼくは初めて聞くが、獅子舞や傘回しなどの曲芸のことらしい。つまり元々は江戸神楽の師匠の住居だった家である。
『東京都の近代和風建築』では「おでんやおせん(生駒邸)、一般住宅、木造2階建 寄棟造 桟瓦葺」としている。昭和22年の航空写真では木が写っているだけで墓地のようである。戦後に建てられた家だ。

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