ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




山手資料館。神奈川県横浜市中区山手町247。1993(平成5)年5月5日

「山手資料館」という名称から、かつて山手町にあった明治期の西洋館の二階建て部分のように受け取られてしまうが、門の傍らの案内板には「本牧本郷町に建てられた中澤兼吉邸の洋館部分を移した」とある。西洋館ではなく、日本家屋に付いていた洋館部分で、元は本牧に建てられたということだ。明治期の住宅としての洋館は山手資料館が唯一かどうか知らないが、貴重であることは確かだ。
『かながわの近代建築』(河合正一著、神奈川合同出版、かもめ文庫、昭和58年、630円)では、「設計・施工=不明、竣工=1909(明治42)年」「園田兼吉氏が自宅として中区本牧町に建て、おいの園田敬男氏が中区諏訪町に移築し、和風家屋に続く洋館として使った。敬男氏の没後、横浜十番館社長・本多正道氏が譲り受け、山手十番館の敷地に移築、山手資料館として、本多氏が収集した開港当時を描いた浮世絵・地図等を展示、公開している。」「戸部(横浜市西区)の大工によって建築されたといい、横浜に存在する明治時代の西洋建築としては唯一のもの。」「構造材には米杉、米栂、外部横羽目材は杉。特色のある円弧組み合わせの破風の形は、造った人の気概を十分に示している。」と解説されている。
The Yokohama Standard>歴史的建造物アーカイブ>山手資料館』には、「元は現所在地に近い諏訪町で牧場を営んでいた中澤氏が、明治42年(1909)に旧本牧上台57番地に建てた邸宅。当初は和風住宅に洋館が連結した和洋折衷の大邸宅であったが、関東大震災後の昭和2年(1929)に洋館部分を旧牧場地の諏訪町に移築。その後昭和52年(1977)に現在地へ再移築された。」とあり、より詳しいことが分かる。ここでは「園田」の名前が出てこない。
ネット上では「本牧に中澤兼吉邸の一部として建てられた。1929年に横浜・諏訪町の園田邸に移された後、……(フォーキー・ブルースの近代産業遺産探訪と単身赴任生活>山手資料館(旧中澤邸))」、あるいは「元は区内の本牧1丁目にあった中澤邸。1929(昭和4)年、諏訪町の園田邸に移築。(郷土文化財コレクション>山手資料館)」などがある。やはり園田と中澤の関係は分からない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )