ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




黒田栄次郎商店、海老原商店。千代田区神田須田町2-13。1983(昭和58)年8月

昭和通りの和泉橋のすぐ南、柳原通りを西へ入って万世橋の方を見た昭和の家並み。
写真左の黒田栄次郎商店は1987年撮影の下の写真では取り壊されている。『看板建築』(藤森照信/増田彰久、三省堂、1988年、1500円)には「…海老原商店の左側はここ数年の〈地上げ〉狂騒の中で放火され焼失した。」とある。海老原商店も被害を受けたが、すぐ修復したという。それが下の写真で、上部の銅板の飾りは作り直したばかりなので緑青の色には至っていない。現在のYKS黒田ビル(黒田機器KK )は1992年の完成だから何年間かは駐車場にしていたのかもしれない。
海老原商店とその右の「高山松蔵」は『日本近代建築総覧』に「海老原商店、建築年=昭和3年、木造3階建、設計=黒沢画伯(正面デザイン)、施工=鴻池組、看板建築」「高山巌宅、建築年=大正12年」と記載されている。この2棟の建物については『看板建築』に内部の写真や間取りとともに解説されている。海老原商店は明治20年に海老原利八が、古着の商店街として栄えていた柳原の一画に店を構えたのが始まり、とあり古着商から始まったらしいが、現在の商売はわざと伏せたのだろうか、書かれていない。
『看板建築』では「高山家」は仕舞屋の造り、としている。この家は2、3階の窓の雨戸が銅板貼りだ。銅板を貼るのは防火のためだから、雨戸も銅板貼りにすることは当然のことかもしれないと改めて気が付いた。2階窓の手すりの下に「高山松蔵」の銅板の表札がある。




上:にんべん洋服店。神田須田町2-13
1987(昭和62)年9月13日
左:源商店。1987(昭和62)年2月1日

高山家の右は銅板貼り看板建築の二軒長屋だろう。左の家の上部の壁に書かれている字は右から「ナラ洋服店」。二軒長屋と高山家の2棟3軒の銅板貼り看板建築はつい最近まで残っていたが、2014年5月に取り壊されて現在はTimesの駐車場になっている。
出桁造りの源商店と車庫として使われているらしい角の看板建築の家は、現在マンションに替わっている。その「アーバイル神田イースト」(10階建て34戸)は2004年2月の完成。写真の右枠外には横町を介して伊関電気

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