靖国通りから、かつての交通博物館のほうへ別れるところの角にあった店。現在はビルに替わった。「下久呉服店」をネット検索すると「神田下久」が出る。「登」のマークが同じなのでこの店だろう。竹むらの横を入ったところに移っていた。そこのHPによると、「明治4年の創業で、初代木村久作の出身地にちなんで下総屋としたが、いつのまにか下久と呼ばれるようになった」という。ということは「しもきゅう」と読むのだろうか?
写真左端に「協和銀行」がある。「そういう銀行があったなあ」という感じだが、神田須田町スクエアビルで、現在は「りそな銀行」。このビルは当ブログの「鷹岡東京支店」の3枚目の写真に「協和銀行」の看板で写っている。協和銀行神田支店は元はスクエアビルの小川町側にあった。下久のすぐ向かいは西定商店(食料品)と第一洋服という店があった。 『東京DOWNTOWN STREET 1980’>千代田区神田須田町』に、その出桁造りの西定商店の1982年1月に撮影された写真が載っている。この写真の後ろの煙突は「富士の湯」。西定商店と第一洋服の間が少しあいているが、そこが銭湯への入り口だったらしい。ぼくは1983年8月にこの付近を歩いて写真を撮っているが、西定商店の写真はないから、その時点ではすでに建物はなくなっていたのかもしれない。