ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




萬屋果物店。中央区日本橋人形町1-18。1985(昭和60)年8月4日

当ブログ前回と同じ場所で、花見せんべいの吾妻屋の北側。アーチのアーケードの奥が大観音寺で、その路地の角が萬屋果物店。その右のビルに京粕漬けの魚久(うおきゅう)が店を出している。現在は魚久は通りの向かいに移り、牛丼の松屋が入っている。
アーケードが魚久のところで切れているが、アーケードを撤去してモール街として整備するためである。アーケードを設置したのは1951(昭和26)年。『東京案内記』(木村毅 編、黄土社書店、昭和26年)に次の記述がある。
 このいわゆる「アーケード」という奴、巾四メートル、ヨロイ戸開閉式の日除け、雨よけ屋根で設計は早大理工学部の秀島講師。四十メートルの烈風にも耐え、夏は太陽熱を反射して寄せつけないし、羽根を調節して涼風を流しこむ。夜は屋根の下にとりつけたケイ光燈が美しく輝き、銀色のジュラルミンに反射して夢のような雰囲気をかもしだす。総工費三千万円で、いずれは水天宮から人形町まで両側を全部ジュラルミンアーケードにするのだというから実力の程も知られよう。


大観音寺の路地
1987(昭和62)年6月7日

写真からは、マーガレット(スナック)、マルジュウ(喫茶)、ヤマカワ(印章・ゴム印)、よし梅、が認められる。料理屋のよし梅が有名だ。建物は昭和2年頃の建築で、「震災復興期建設の2階建で数寄屋風意匠の住宅」ということで、「よし梅芳町亭」の名称で登録有形文化財になっている。路地に面した建物も戦前のものなのだろうが、写真の看板のところから奥へ入ったところに別棟で「柳家」という待合だった家があり、登録有形文化財はその家ではないかと思う。

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