ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



永代
 ●永信商事/2(2009.06.16)

越中島
 ●東京海洋大学1号館/2(2011.04.11)
 ●東京海洋大学先端科学技術研究センター/2(2011.04.13)
 ●東京海洋大学越中島会館/2(2011.04.15)
 ●東京海洋大学第一観測台/2(2011.04.17)
 ●東京海洋大学第二観測台/2(2011.04.18)

扇橋
 ●新扇橋、小松橋/1、2(2020.10.30)

亀戸
 ●丸定、坂本商店/3(2022.11.26)
 ●丸誠青果店、石川海苔店/3(2022.11.30)
 ●馬場精肉店、香取飯店/3(2022.12.05)

木場
 ●茂森橋/4(2021.07.22)
 ●崎川橋/4(2021.07.25)

清澄
 ●深川図書館/3(2009.12.29)
 ●三野村合名会社/2(2016.03.15)
 ●旧東京市営店舗向住宅(1)/3(2016.03.17)
 ●旧東京市営店舗向住宅(2)/3(2016.03.18)

佐賀
 ●食糧ビル/1(2007.05.06)
 ●村林ビル/1(2007.05.07)
 ●讃岐食品/1(2007.05.08)
 ●平屋の事務所、他/1(2007.05.09)
 ●網中産業、他/1(2007.05.11)
 ●日本救命器具、他/1(2012.11.18)
 ●板塀の住宅/1(2012.11.20)
 ●いながき商店、他/1(2012.11.22)
 ●三井倉庫/2(2012.11.24)
 ●御船橋/1(2021.03.25)
 ●緑橋/1(2021.03.27)

塩浜
 ●白妙橋/1・2(2021.07.19)

白河
 ●清洲寮/1(2016.03.20)
 ●同潤会清砂通りアパートメント1号館/3(2016.07.16)
 ●同潤会清砂通りアパートメント5号館/4(2016.07.18)
 ●同潤会清砂通りアパートメント6号館/4(2016.07.21)
 ●同潤会清砂通りアパートメント7号館/4(2016.07.22)
 ●同潤会清砂通りアパートメント10号館/4(2016.08.13)
 ●同潤会清砂通りアパートメント15・16号館/4(2016.08.17)
 ●西深川橋、新高橋/1、4(2020.10.26)

住吉
 ●あそか病院/1(2010.05.19)
 ●東町アパートメント/1(2010.05.20)
 ●住吉共同住宅12・13号館/1(2010.05.24)
 ●住吉共同住宅10・17号館/1(2010.05.26)
 ●住吉共同住宅14・15号館/1(2010.05.28)

東陽
 ●弁天マーケット/1(2016.03.22)
 ●大賀荘、明治企業/1(2016.03.24)
 ●茂木アパート/1(2016.03.27)
 ●雲形装飾のある家、スナックらん/1(2016.03.29)

常盤
 ●万年橋/1(2020.10.23)

平野
 ●福寿橋、大栄橋/4(2020.11.02)

深川
 ●NTT深川ビル別館/2(2020.11.04)

福住
 ●大衆食堂みよし/1―御船橋きわの民家(2012.09.30)
 ●江東電設、他/1(2012.10.02)
 ●山丸電気工業所、他/1(2012.10.03)
 ●明光、福住剣友会/1(2012.10.07)
 ●片倉倉庫、東洋ケミカルズ倉庫/2(2012.10.09)
 ●四軒長屋/1(2021.03.17)

古石場
 ●古石場住宅/2(2021.04.04)

三好
 ●清砂通アパートメント11・14号館/4(2016.08.15)

毛利
 ●住吉共同住宅(第1期)/1(2010.05.23)

門前仲町
 ●内職補導所/1(2007.05.16)

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兜橋ビル。中央区日本橋1-20。左:1985(昭和60)年4月14日、右:1987(昭和62)年4月5日

ビルの名称は昭和9年火保図から。同図ではコンクリート4階となっていて写真のビルとは異なるかもしれない。昭和20年代の火保図では「大和証券、コンクリート3階」になっている。増築部分もかなり古く見えるので、戦前の建築としか見えないのだが。
場所は日本橋郵便局の裏、三菱倉庫の向かい。かつて楓川河口に架かっていた兜橋の橋際である。町名変更前は江戸橋1丁目、大震災前は河岸地で本材木町1丁目になる。
撮影時は住宅地図では「三菱地所現場事務所」となっていて、たぶん東証建替えの現場事務所になっていたようだ。

追記:2007.05.11
東村山のヨウタロウ氏からコメントを頂いた。それによると、このビルは関根要太郎の設計になり、百十三銀行という函館に本店を置く地銀の東京支店だった建物という。関根要太郎は多摩の桜ヶ丘公園にある聖跡記念館の設計者である。今も残る江東区佐賀町の村林ビルとが、東京に残る関根要太郎の作品だという。


藍沢ビル。日本橋1-20。左:1986(昭和61)年6月22日。右:同年12月31日

「帝都復興せり!」(松葉一清著、1988年平凡社刊)によると、『昭和8年、萩一郎設計』
細部の装飾はあっさりと排除して、ただの四角い箱みたいだが、1階だけ黒い石張りにして変化を付けている。どういうわけか、いつまででも見ていられる。

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