コメント
 
 
 
文豪屋敷 (みつるぎ)
2022-06-22 15:34:52
今から47、8年前に2、3度連れて行かれました。確かに文豪屋敷、かに屋敷と言っていました当時でも古い建物でしたね。屋内に赤い太鼓橋が掛かっていました。わたくしは貴金属加工の修行中の小僧で、親和さんと言う問屋さんの盆,暮れの慰労会がありました。たまに思い出しておりました。ここを検索していたら懐かしくて書き込みます。
 
 
 
>みつるぎ様 (流一)
2022-06-24 11:11:50
修行中の職人さんに、問屋さんからの接待がかかるのは、お互いに親密な会社関係だったのでしょうね。問屋さんはやはり板橋に店があったのでしょうか。
本文で出した資料には瓦屋根の門の写真が載っていて、門の左に「文豪屋敷」の提灯が下がっています。家は庭木で見えません。
文豪屋敷は市役所や警察署、税務署が近くにあって、そこの職員とは言いませんが、そこにやってくる人の利用があったかと想像できます。
 
 
 
文豪屋敷 (みつるぎ)
2022-06-25 23:44:44
問屋の仕事受けている職人と弟子が招待されて10人前後いたでしょうか。問屋さんは日本橋にありました。その当時わたくしの師匠は荒川の東尾久に居りました。参加されていた職人さんは滝野川や王子など、師匠の兄弟弟子の方々が多かったと思います。何となくうる覚えですが、玄関を入ると右に曲がってから奥に行く廊下があったような気がします。太鼓橋の周りには仕切りのない座敷があって太鼓橋の下には水が流れていたように思います。問屋の方が三味線を弾いて聴かせてくれました。その方が帰る時にムスタングで送って頂いた事もありましたね。わたくしの師匠は今年亡くなり、参加されていた兄弟弟子の方々皆さん亡くなってしまいました。時の流れを感じます。  流一様へ
 
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