コメント
水村屋
(
kzs
)
2007-04-26 16:08:13
木村屋ではなく、水村屋だと思います。キムラヤのパンの販売もしていましたので、私も勘違いして今まで気付きませんでした。
野田酒店については記憶にありません。昭和30年頃? 水村屋は酒屋・食料品屋、角店(かどみせ)も水村屋のもので、営業には使っていない、と認識していました。角店を解体したところ郵便局も改築が必要とわかり、敷地を交換しました。
水村屋の隣は小森商会、その隣には銘菓の「三(み)はし堂」がありました。
kzs様
(
流一
)
2007-04-27 10:32:19
コメントをありがとうございます。
ご指摘のとおり、本文のほうを、木村屋→水村屋と訂正しました。
また、写真を入れ替えて大きい画像を表示できるようにしました。
郵便局が角に移った経過では、写真の郵便局の建物は昭和30年頃のものですね。
ポスト3
(
kzs
)
2008-06-21 02:17:02
郵便局なのでポストがあるはずですが、隠れているのかな?
水村屋は大正時代から
(
孫娘
)
2012-04-30 00:12:33
たまたま、人の紹介で人形町つながりのフェイスブックよりこちらにとどりつきました。私が生まれ育った人形町周辺の写真を懐かしく開けていたところ、水村屋にたとりつきました。私は3代目の娘です。すでに店は廃業いたしましたが。酒屋は、曾祖父が大正時代から酒屋業をはじめていたのでそこに野田酒店はありませんでした。ここの土地に大正時代からあります。昭和時代までは角地
と小森商店さんのとなりが水村屋でした。間に郵便局があったのが不便となり、私の祖父が代替したとのことでした。そのときあたらしく角から2件目と元からある家とを中でつなげて、あらたに角に郵便局を建て替えて差し上げたとのことでした。建築家の名前はここで見るまで知らず、久しぶりに子供時代に育った家を見てうれしさが込み上げました。平成元年に現在のビルへと立て替えてしまい
この時代の写真がみることもなかったので感謝です。
>孫娘様
(
流一
)
2012-04-30 17:55:25
水村屋さんのご家族の方からコメントをいただけるとは感激です。人形町、蛎殻町周辺は昭和末年頃の建物・家並みはかなり収録したつもりなので、お楽しみいただけるのではないでしょうか。
「野田酒店」に関しては、どうやら地図の記載ミスのようですね。
「立花医院/人形町1丁目」の記事も読んでいただいたようですが、「中村庸二建築事務所」というホームページの「WORKS作品集から」で、水村屋商店の店舗の完成時の写真が公開されています。1階上の壁に人の顔のレリーフがあったのですね。
昭和34年、有馬中学3年では小林金物店の息子さんが私と同級生でした。
人の顔のレリーフ
(
孫娘
)
2012-04-30 23:15:16
レスありがとうございます。さっそく中村さんの作品集のホームページを見てみ
ます。顔のレリーフは、ビルに改築する際に
はずして、保管してあります。これは、お酒の神様のバッカスを
モデルにしているそうです。酒屋だからお酒の神様。昔の家が私の
中ではいまでも鮮明に残っています。家の中は、いまではもうないであろう漆喰?のかべで足で蹴ると中から砂がでてきたりしてました。
それにほうきで掃除をしたとき用のゴミ出し窓、中にあった床の間には
とても高価な3本の木をほどこしてありました。それとかなり大きな
昭和時代か大正時代の金庫もありました。本当にありがとうございます。
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野田酒店については記憶にありません。昭和30年頃? 水村屋は酒屋・食料品屋、角店(かどみせ)も水村屋のもので、営業には使っていない、と認識していました。角店を解体したところ郵便局も改築が必要とわかり、敷地を交換しました。
水村屋の隣は小森商会、その隣には銘菓の「三(み)はし堂」がありました。
ご指摘のとおり、本文のほうを、木村屋→水村屋と訂正しました。
また、写真を入れ替えて大きい画像を表示できるようにしました。
郵便局が角に移った経過では、写真の郵便局の建物は昭和30年頃のものですね。
と小森商店さんのとなりが水村屋でした。間に郵便局があったのが不便となり、私の祖父が代替したとのことでした。そのときあたらしく角から2件目と元からある家とを中でつなげて、あらたに角に郵便局を建て替えて差し上げたとのことでした。建築家の名前はここで見るまで知らず、久しぶりに子供時代に育った家を見てうれしさが込み上げました。平成元年に現在のビルへと立て替えてしまい
この時代の写真がみることもなかったので感謝です。
「野田酒店」に関しては、どうやら地図の記載ミスのようですね。
「立花医院/人形町1丁目」の記事も読んでいただいたようですが、「中村庸二建築事務所」というホームページの「WORKS作品集から」で、水村屋商店の店舗の完成時の写真が公開されています。1階上の壁に人の顔のレリーフがあったのですね。
昭和34年、有馬中学3年では小林金物店の息子さんが私と同級生でした。
ます。顔のレリーフは、ビルに改築する際に
はずして、保管してあります。これは、お酒の神様のバッカスを
モデルにしているそうです。酒屋だからお酒の神様。昔の家が私の
中ではいまでも鮮明に残っています。家の中は、いまではもうないであろう漆喰?のかべで足で蹴ると中から砂がでてきたりしてました。
それにほうきで掃除をしたとき用のゴミ出し窓、中にあった床の間には
とても高価な3本の木をほどこしてありました。それとかなり大きな
昭和時代か大正時代の金庫もありました。本当にありがとうございます。