龍の声

龍の声は、天の声

「心の艶を磨くために」

2017-08-23 06:45:48 | 日本

菅家一比古さんの心の艶を磨くために」について記す。

 

瀬戸内の水軍と言えば村上水軍が有名です。瀬戸内海どころか遠く朝鮮海峡や東シナ海まで航海に出かけていました。

日本の権力者たちは村上水軍を敵に回すと必ず痛手を蒙(こうむ)っており、いかに彼らを味方につけるか、それに拠って命運が決まったのです。

織田信長はどれだけ村上水軍に苦しめられたことか。反対に平氏や源氏、毛利氏や秀吉も彼等を味方に付けることにより、覇権を確立して行ったのです。

その村上水軍の益荒男(ますらお)たちの伝統こそ「和歌、連歌を詠む」ことにありました。とくに連歌は有名で、瀬戸内大橋のしまなみ街道の途中にある大三島の大山祇(おおやまずみ)神社には、彼等が詠んだ連歌が数万首も納められております。

水軍の男たちが詠んだ連歌はきわめて教養の深いもので、「源氏物語」「万葉集」「古今集」、その他の古典に通じていたことがよく知られております。一人前の和歌を詠めない者は決して船頭(ふながしら)には選ばれません。

「舟底板一枚の下は地獄」と言われるように航海は命がけです。とくに天候に生死は左右されます。和歌の達人とは言霊の達人を即意味しておりました。言霊の達人は自然をも味方に付けられると考えられていたのです。

数万首の連歌は度々の兵火によって焼失したものの一部であって、その全部が残っていたとしたら、その数は氣が遠くなるほど膨大な数になります。

残っている数万首の連歌は大君、天皇(スメラギ)を詠んだもの、恋の歌、愛する者へのもの、旅の哀しみ等が中心でした。常に自然の猛威、風浪との闘いに明け暮れていながら「心の艶」を磨き続けることを怠らなかった男たち。そこには肩肘張った賢(さか)しらな理屈など少しもありません。あるのは素直な人間の真(心)情の吐露のみでした。

心の艶はどうしたら磨けるのでしょう。誰かを一途に愛し、恋をし、神や仏、自然、天皇、師を心から思慕する。きっとそこに艶が出てくるのだと思います。

理性や打算からは決して心の艶など出ては来ません。恋は理性の壁が崩れる一瞬や状態であって、それにより自他対立・自他区別から、自他一体・自他不二となるのです。

「あなたの中に私が生きている。私の中にあなたが生きている。」これこそ人間成長の証だと言えます。「恋は人間成長の母」。しっとりとした情感の泉と言えるでしょう。

日本に恋をし、自然に恋をし、人に恋をし、そして一番大切な自分自身に恋をする。私は艶やかな心の、日の本の男(お)の子でありたいと日々願い続けております。