
(撮影:2019.4.4)
この祈念櫓は本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立された
棟札によると万延元年10月に竣工した
大正7年(1918)市内にある黒田家の菩提寺の崇福寺が陸軍省から払下げをうけ
末寺である大正寺住職渡辺玄外老師によって北九州市八幡東区東台良の同寺境内に移築され観音堂として使用されていた
昭和58年(1983)同寺より福岡城の旧位置に移築され翌年9月竣工した
棟を北西から東北に通し鯱が上げられ丸瓦に黒田家の藤巴が刻まれる
壁は1、2階とも押縁縦板張りでのちの改築
ただし1、2階の窓格子は白漆喰塗り仕上げで当時の様子をとどめている
1階には5畳半の茶室を付加している。
ところで大正初期の撮影と推定される写真によると
下見板張り 白漆喰の壁 軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓であり
現在復元された記念櫓とは著しく外観が異なっている
福岡城から大正寺に移築された際に大幅な改変を受けたものと考えられる