
I believe myself…
絢香の 生歌を背中にうけて
ミキティが 全身で歓びを表現する 場面に
思わず 涙がこぼれました
齢を重ねるにつれて 涙腺が弱くなってきているせいもあるでしょうね
フィギュアスケート 安藤美姫選手
ミキティは
トリノオリンピックで 納得のいく結果がだせず
悔しい思いをして 帰国した経験をもつ その名のとおり 美しい姫
その悔しさをバネに
もう一度 自分を信じて この試合
世界フィギュア に臨んだといいます
『自分を信じる』
これほど 難しいことはないと 私は思っています
ちょうど 私は
『退職願』を作成している最中でした
退職を決心するまで 相当 悩みました
正直 専業主婦に あこがれていた私ではありますが
曲がりなりにも 苦節しながら 7年間
続けてきた仕事を 辞めるには 勇気がいりました
実際 現場で働いていると
「辞めたい」と思うことは 幾度も
「死にたい」と思うほど
心が 枯れてしまうことも しばしば
でも
どうして 続けてきたか?
そう考えると この仕事が向いているかどうかは別にして
社会的に 意義のある仕事だと信じていたから
そして
支えてくれる人が いてくれたから
だと思うのです
産休に入る前は
「私、戻ってこないかも!?」なんて
同僚に 冗談ぽく言ったりもしていました

でもきっと
育休1年もらって また働くことになるんだろうなーと 心のどこかで
思っている自分自身に 違和感もなく 出産の日を迎えたのでした
私が 退職を決意したのは
やっぱり りゅうちゃんの病気 が一番の理由
決して りゅうちゃんのせいにしているわけでもないし
仕事から 逃げたわけでもないと
自分には 言い聞かせていますが…
年長者の退職を告げられた 同僚たちは どう思っているだろう…
仕事から 逃げたと思っているだろうか?
最初から 復帰するつもりがなかったと思っているだろうか?
仕事から 逃げたいがために 息子をダシに使ったと思われてしまっただろうか?
マイナス思考の私は どんどん深みにはまっていきます

(あ、励ましの言葉が欲しくて書いているんじゃないので、これを読んでくれた方、どうぞお気遣いなさらぬよう願います

)
私の本当の気持ち
病気をもって生まれてしまった りゅうちゃんに対しての責任
今後 一生向かわなければならない 息子の治療生活への不安
初めての育児 というだけで
不器用な私は いっぱいいっぱい
その上
りゅうちゃんの治療のこと 家のこと 旦那さんのこと
ストレスフルな仕事のこと
考えるだけで パニックになりそうです
自分のことだから よく分かっているのです
ストレスがたまると 自分の存在を消したくなってしまう性格 うつ症状
ひどい時には
自分の 体をも 痛めつけてしまったこともあります
(ひくでしょ?みんなごめんなさい。。)
りゅうちゃんの妊娠が分かった頃
担当していたある患者さんの転院調整をしていました
生活背景がとても複雑な患者さんで
身寄りがないのですが
いろいろな方の協力の下 受けてもらえる転院先が決まっており
あとは その日程調整を待つばかりでした
ところが
その転院先から思わぬことで 転院を断られ やむなく
その患者さんの 後見人に相当する予定の方
(後見人がつくかどうかまだ裁判の途中でした)と一緒に 転院先の事務長や相談員さんに 直談判に行ったのです
つわりでしんどく、体が斜めになるのを自覚しながら
県北近くまで 自家用車で出向いたにも かかわらず
努力むなしく 破談

つわりはキツイし
病棟スタッフからは 怒られるし
調整は いちからやり直し
当時 複雑な背景をもつ患者さんが多く
いつも 病棟師長からは 「まだこの人退院できんの?」と鬼のように攻められ
ひどくストレスを抱えて 毎日を過ごしたように思います
あかちゃんの口唇は 妊娠2ヶ月の終わりごろ
口蓋は 3ヶ月の終わりごろ つくられるそうです
その時期に
遺伝的な背景と マイナスに作用する環境との影響 が結びつくことで
口唇裂や 口蓋裂が発生します
(簡単に言うと、何らかの原因がいくつか重なって、
本来くっつくはずの唇や上あごが、くっつかずに成長してしまうのです)
はっきりした原因は 解明されていませんが
私の中にある
何らかの要因が りゅうちゃんの病気を ひき起こしたことには違いありません
環境的要因…
私の場合 薬もアルコールも飲んでいないし タバコも吸いません
X線照射も受けていなければ 大きな病気にもかかりませんでした
考えられるとしたら ストレスくらいしかないのです
原因を掘り起こしたところで どうにもならないし
原因はわからないんだから どうしようもないのは わかっていても
だからこそ
原因は 母親の自分にあるというところに
たどり着いてしまうのです
そして
私があの時 もう少し 穏やかに過ごしていれば
りゅうちゃんが 辛い思いをしなくてもすんだのに…と思ってしまうのです
それゆえに
なるべく りゅうちゃんのそばにいてやりたい と思ったのが
私が退職を決める きっかけになったこと
他にも
保育園で 預かってもらえるか 不安だったのもあるし
逆に 保育園に預けたくない 気持ちもありました
話がそれてしまったかもしれませんが
自分が感じたこと
自分が大切にしたいと思っていること
を
信じて 貫けばいいんだ と
ミキティの 演技を見て 強く感じた
ということが 言いたくて 長くなってしまいました
他人の評価を 気にしているようでは
母親として 息子に 正面から向き合うことができないような気がします
弱い自分に さよならして
ミキティのように 笑顔で 息子を抱きしめたいと思います