大磯まで行って来ました。といっても、観光などできたわけではなく、大磯駅前で2時間程、用を済ませてすぐに帰って来ました。大磯は、品川から東海道本線で約1時間の所にありました。駅のホームに降り立ったら、空気がまるで都会とは違っていて、線路の向こうの草むらでは、虫が啼いていました。海に近いと、風が全く違うのですね。
お金持ちがたくさん住んでいる所のようですね。駅前に「パンの蔵」というパン屋さんがあって、朝7時からお店を開けているそうです。都内に通勤する方が買って電車に乗られるとか。食べてみたらとても美味しかったです。
ウィキペディアで「大磯町」を引くと、次の説明があります。
明治中期から昭和初期にかけて、要人の避暑・避寒地として知られており、特に伊藤博文、吉田茂のそれは特に有名である。
山縣有朋や西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘が多く建てられた。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったといわれる。また、吉田茂の場合は首相退陣後は大磯にて隠棲生活を送ったが、晩年も政界への影響力を保持していた為、「大磯」は吉田茂を示す別称(政界用語)でもあった。
そんな町に住んでみたいような気もしますが、やはり私には、川越が肌に合っているようです。
ユラーナ
お金持ちがたくさん住んでいる所のようですね。駅前に「パンの蔵」というパン屋さんがあって、朝7時からお店を開けているそうです。都内に通勤する方が買って電車に乗られるとか。食べてみたらとても美味しかったです。
ウィキペディアで「大磯町」を引くと、次の説明があります。
明治中期から昭和初期にかけて、要人の避暑・避寒地として知られており、特に伊藤博文、吉田茂のそれは特に有名である。
山縣有朋や西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘が多く建てられた。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったといわれる。また、吉田茂の場合は首相退陣後は大磯にて隠棲生活を送ったが、晩年も政界への影響力を保持していた為、「大磯」は吉田茂を示す別称(政界用語)でもあった。
そんな町に住んでみたいような気もしますが、やはり私には、川越が肌に合っているようです。
ユラーナ