昼食を終えて二つ鳥居12:20スタート。町石道まだ3分の一です。
ここで、二つ鳥居の由来を少しお勉強です。
丹生都比売神社の説明によりますと、
「二つ鳥居の理由は弘法大師を高野山に案内したと伝えられる「狩場明神」と
土地の地主神である「丹生都比売明神」を遙拝するためと云われている。」
もう少し詳しい説明では、「高野山を開いた弘法大師空海が、弘仁10年(819)
天野社明神(丹生明神・高野明神)を高野山上に勧請した時に建てられました。
初めは木造であったが、その後老朽し、改修をくり返しました。
江戸時代の、慶安2年(1649)に、補陀落院叟遍が私財を投じて石造に
改めたものが現在に残っています。」
昔高野山まで歩けない人が、ここまで登り二つ鳥居から、高野山を拝み、
また丹生都比売明神に向かって遥拝する場所だったようです。
二つ鳥居から10町ほど下ると辺りが明るくなり、突然ゴルフ場が右手に出現。
神田(こうだ)の地蔵堂の周りも少し芝生の広場になっており休憩場所でもある。
横笛が恋に落ちた滝口入道に会うために、待ち続けたという伝説のお堂です。
滝口入道が8世住職となった
高野山大円院には、絵物語として伝えられている。
地蔵堂を過ぎると二里塚があり、100町石を切る頃には下り道で快調に町石数を
減らして、町石道道中唯一の水分補給、トイレ、軽食が出来る矢立(60町)に着く。
2本のペットボトルも空になっているので、さっそくお茶とポカリのボトルを購入。
ここ矢立に花坂茶屋があり、名物の焼餅を2個頬張ると疲れも一気に取れる。
矢立(500m)の休憩後、いよいよ高野の結界に入る。ここから次の展望休憩所がある
38町までは標高差200mのだらだら登りが続き、結構疲れが足腰にくる。
本日2回目の車道を横切り、小高い丘の上に展望休憩所の東屋がある。
タイム。
残していた柿の葉寿司を3ヶを食べ、最後のエネルギー補強をする。
後は大門下まで、谷川沿いに平坦な道が20町ほど続く。
ここまでくるとゴールが見え出し、気分も軽くなりどんどんピッチが上がる。
今日は雨の心配をまったくしていなかったのに、
あたりが暗くなり
が。
どんどん雷鳴が近づきだし恐怖さえ覚え、24町石あたりより10個ほど架かっている
橋の存在も忘れるほど駆け足で飛ばして、いよいよ大門したの急坂に到着。
このつづれ折れの坂は、町石道では雨引山の休憩所までの急坂と甲乙つけがたい。
ゴールが見えているだけになかなか頑張りがいのある坂です。ガシガシと一気に
駆け上がっていくと、ゴールの大門が懐ろをいっぱい広げて待っていてくれます。
大門到着15:15 5時間かかりましたが、真夏の歩きとしてはまずまずでした。
大門の気温は24℃。やはり涼しいです。雨もぱらぱらと降り出した。
突然山内にいるみいちゃんから
メールが、「降ってるよ
」の怒メール。
まったく昨年と一緒のパターンでその後、激しい夕立になった。
今日こそは雨が降らないと確信していただけにショックでした。
私は奥の院行きのバスに乗れたので大雨を逃れたのですが、
みいちゃんとりっささんは20分ほど民家の軒先で雨宿りをした。
みいちゃん「もうこれからは、りょうまさんを誘わんよ」の冷たい言葉。
りっささん「もうどんだけ、雨を降らせたら気がすむのよ」とお怒り
竜馬伝説健在には、ほんとうに困ったアメフラシ竜馬16さんでした。
夕刻には機嫌をなおしてもらい、たのしくろうそく祭りに参加しました。
ろうそく祭りの記事は
8月14日のブログをご覧ください。