大阪龍馬会

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白虎隊:会津・長州の友好碑建立を 子孫が来県--逸話の地・美祢市に

2010-03-30 00:01:00 | 幕末ニュース
◇郷土史家らと交流

 戊辰(ぼしん)戦争で集団自刃した白虎隊二十士のうち唯一生き残った飯沼貞吉(後の貞雄、1854~1931)の孫、飯沼一元(かずもと)さん(67)=東京都在住=が20日、生存後に貞吉が敵方の長州で一時養育されたとの言い伝えが残る美祢市を訪れ、郷土史家らと交流会を開いた。少年の貞吉を連れ帰ったとされる長州藩士・楢崎頼三(1845~75)の同市東厚保町(ひがしあつちょう)川東小杉の屋敷跡を訪れた後、飯沼さんは「戦い合った会津藩と長州藩の友好の記念碑を建てたい」と提案した。

 貞吉は明治時代に逓信省の技師になり、下関や山口に勤務。退職後、31(昭和6)年に仙台で78歳で亡くなった。

 一方、幕末に美祢の楢崎家に奉公していた高見フサの証言で頼三が戊辰戦争から帰郷した際「サダさあ」と親しく呼び掛ける少年を伴い、しばらく家で養育したという逸話が残っている。楢崎は1875(明治8)年にパリ滞在中に31歳で死去。屋敷は高見家が受け継いだ。歴史資料が少ない中、研究家の間で「少年は貞吉ではないか」と議論になっていた。

 飯沼さんは08年に初めて美祢市を訪問。フサの子孫の高見和子さん(83)や吉井克也さん(63)と面会し、言い伝えを聞いた。その後も飯沼さんは自身で研究を続け、今回の訪問で「史実」と確信したという。

 この日の座談会には、会津藩があった福島県内の研究家と山口県内の郷土史家ら約30人が参加。飯沼さんが「来年にも楢崎家の屋敷跡地に記念碑を建てたい」と提言。高見さんとともに出席した吉井さんも「『サダさあ』の話は先祖から語り継いできた。建立に協力したい」と答えていた。

3/23 毎日新聞


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