遊煩悩林

住職のつぶやき

闇の自覚

2023年12月01日 | ブログ

 

『中日新聞』の「今週のことば」。

同朋大学名誉教授の尾畑文正先生が執筆された昨年12月6日の記事をひっぱり出しました。

私にとって12月8日は人間の愚かさを心に刻む日である。

と結ばれている。

仏教徒においては、お釈迦さまの「成道」の日。

お釈迦さまの悟りは「人間の無明を悟った」のだ、と。

人間の無明。

12月8日は、「真珠湾攻撃の日」である、と。

また「愛と平和を歌うジョン・レノンの暗殺の日」である、と。

人間の闇を知るはたらきを、お釈迦さまのお悟りと捉える。

悟りの内実を「真実の智恵(光)」と同欄では表現される。

そこでだ。

「今週のことば」に

人間は闇の自覚なしに、光の自覚があろうはずがない

高光大船

と掲出されている。

昨年12月の「今週のことば」を、今年の12月の常照寺の「今月のことば」として掲示板に孫引きさせていただいた。

8日、意識しながら手を合わせようと。

はたして私に闇は自覚されるか。

 

コメント

略するところなり

2023年11月01日 | ブログ

真宗本廟 - 東本願寺 -

報恩講

https://www.higashihonganji.or.jp/lp/houonkou/

恩に報いる講座。

どのような恩を受け取り、いかに報いるのか。

報いるには、まず恩を知ることからだ。

知ることができなければ、恩知らず。

11月の常照寺の掲示板に

憶念弥陀仏本願

略して 念仏

と記した。

「略して」という表現はいかがかと思ったが。

「省」のニュアンスではない。

 略 【りゃく】

① はぶくこと。省略。

② おおよそ。あらまし。

③ 知恵。はかりごと。

また別に

① おさめる

と出てきた。

② ③ のニュアンスに、別 ① の意を込めて。

言い換えれば

念仏とは、憶念弥陀仏本願である、と。

宗祖は龍樹菩薩の教えを引いてくださった。

憶念弥陀仏本願 自然即時入必定

とつづく。

弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時、必定に入る、と。

「必定に入る」を意訳して「たすかる」と受け取るならば。

念仏すれば自然にたすかる。

さて、私はたすかるのか。

しかし、たすかろうとしているのか。

そもそも、たすからなければならないようなじぶんを知っておるのか。

まわり回って、恩を知らずに過ごしている私こそ、たすからなければならん者ではないのか。

ややこしいが。

恩知らずをたすける、そんな恩をいかに頂戴するか。

報いるとは、仏恩を報ずる以外にない。

恩知らずがどう報ずるか。

南無阿弥陀仏

合掌

 

コメント

胸糞悪い

2023年10月16日 | ブログ

ムナクソワルイ

そんな表現を使うようになったか、と。

鑑賞後の息子の感想。

はじめから結末はわかっていたはずだが。

それもそのはずか。

「福田村事件」

ちょうど100年前。

関東大震災後の社会不安のなかで起きた虐殺事件。

さらに50年遡った1873年の「美作騒擾」を思った。

美作では昨年、150回忌が勤まった。

「福田村事件」の被害者においては、昨年100回忌だったはず。

虐殺の地で、事件が起こった9月6日に行われた追悼式には、被害者遺族も参加されたと。

被害者が被害を語れず、加害者も口を閉ざしてきた。

パンフレットには、クラウドファンディングなどの協力者の名が記載されていた。

多くの方が、闇に葬ってはいけないと。

事件が惹起する背景にあるものを含めて。

胸糞の悪さは、それが昔話でなく、いま現にこの社会に漂っているからだろう。

人ごとではない。いつでも予備軍であり張本人なのだ。

「特別協力」に真宗教団の名も。

真宗教団連合 https://www.shin.gr.jp/

伊勢では進富座で25日まで。

進富座 https://shintomiza.whitesnow.jp/

コメント

無駄な穴

2023年10月13日 | ブログ

長野松代へ。

松代大本営跡地を見学。

戦争末期、本土決戦を見据え、政府機関を移設させる計画。

沖縄戦がズルズル長引いた故の惨禍の理由はここにあったといわれます。

1944年の秋から翌年8月の終戦まで、9ヶ月の突貫工事で8割ほどが完成したと。

当時は極秘裏に、壕は「倉庫」と呼ばれ、イ号からロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・チ・リ号の9つの壕にそれぞれ大本営、政府、放送、電話、通信等の各機関や仮皇居、賢所、軍令部となる海軍壕に及ぶ一帯の工事は「松代倉庫工事」と呼ばれ、関連施設は松代だけでなく長野盆地一帯。

知らなかったのは、知らされていなかった日本人だけで、米軍をはじめとする連合国がそれを知らなかったということはないのではないかと思った。

見学できるのは、「イ号倉庫」と呼ばれた象山地下壕の500mほどの区間ですが、この象山に掘られた地下壕だけでも、総延長は5.8km、床面積は23000㎡に及ぶ。

厳密にはこの「イ号倉庫」には政府機関とNHK、電話局が入る予定で、象山とは別の舞鶴山に掘られた「ロ号倉庫」がいわゆる大本営の入営地だったと。

イ号・ロ号、食料庫となるハ号、そして天皇・皇后・宮内省が入る仮皇居はほぼ完成したが、杭口だけで未完のまま終戦を迎えたのが「賢所」。

つまりは伊勢の神体を祀る場所ということ。

天皇と神器をともに遷す。

ポツダム宣言を受け入れず、戦争遂行に拘った背景。

ひとことで言えば国体護持ですが、具体的には、そのために沖縄戦を長期化させ、原爆投下にまで至る。

何を守ろうとして、何を捨てたのか。

戦後、長野を巡幸された天皇が知事にたずねたという。

「この辺に戦時中、無駄な穴を掘ったところがあるというが、どのへんか」と。

発言をどのように受け止めるのかはそれぞれですが、「無駄な穴」は誰が何のために掘ったのか。

学徒動員という末期的状況下、日本の労働力を補った朝鮮人労働者の犠牲。

「犠牲」という言い方は、何かの目的が達成されたことによる表現だとすれば、「無駄な穴」を強制的に掘らされた方々の死は何だったかと。

「無駄な死」とするかどうかは、その死から私たちが何を学ぶかによるのだろう。

無駄にしない活動を、松代大本営平和祈念館の方々が続けておられます。

近く念願の祈念館も開館するとか。

http://matushiro.la.coocan.jp/kinenkan/newpage2.html

当日は学芸員の方に丁寧なガイドをしていただきました。

戦時を語る人々が少なくなっている現状において、遺跡を通して学んでいくことの重要性。

掘削による石屑は、戦後、厚木基地や三沢基地の滑走路の資材になっているそうです。

その滑走路から今度はどこに何を飛ばそうとするのか。

学び続けなくてはなりません。

私たちは何を大事にして生きるのか。

 

松代を離れて、上田駅前の宿に宿泊。

古い居酒屋の店主から、長野五輪の決定からの建設ラッシュ、新幹線の開通、オリンピックの開催を経た街の様子と人の変化についていろいろ聞かせていただいた。

翌朝、戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪問。

https://mugonkan.jp/

戦没画学生の作品と名前、年齢、出征地や生い立ち、手紙、家族のことばの展示を見学。

帰りは静かに長野を離れました。

コメント

まつり

2023年10月02日 | ブログ

神無月。

おまつりの季節。

ご当地は「伊勢まつり」。

コロナによって数年ぶりの本格開催と。

https://www.city.ise.mie.jp/machi/community/isematsuri/1015286.html

伊勢には一年中、玄関にしめ縄を飾る習俗がある。

しめ飾りの「蘇民将来」の札は、蘇民将来の子孫を表明している。

疫病封じの魔除け。

家人に死人が出れば玄関飾りを降ろすのが通例。

蘇民の子孫に不幸があってはならないのだ。

かといってコロナに罹患された方がしめ飾りを外したかどうか。

さて、伊勢のおまつりはかつて「おおまつり」といって、小中学校は休校だった。

「おおまつり」は疫病除けのまつりではない。

神宮の神嘗祭(かんなめさい)。

豊穣を太陽神に感謝する収穫祭。

これにちなんで今は「伊勢まつり」と。

稲穂を載せた台車を神宮に曳き入れる「初穂曳」は、常照寺門前がルート。

15日は昼過ぎまで通行止めとなるのでご注意を。

せっかくだから門前の掲示板に

念仏は鬼神を排する教えではない

鬼神とともに生きる教えである

と書き出した。

初穂曳きに参加される方がチラ見でもしてくれたらと期待しつつ。

メモに「20220526教区育成員研修」と。

調べると梶原敬一さんが講師だった。

講師のお言葉か、私の感想か覚えが定かでありませんが。

おまつりと称して飲食に興じる自戒を込めて。

今年の「伊勢まつり」は、「東京ディズニーリゾート(R)40周年スペシャルパレード」が見どころとか。

この土地に念仏するものとして。

何を祀り、奉り、祭って生きるのか、と。

仏と鬼神。

善鬼神と悪鬼神。

東本願寺の月刊『同朋』。

「真宗門徒のキーワード」という連載。

10月号のワードは「鬼神」。

「善鬼神」「悪鬼神」の説明のほか、「豆知識」として『歎異抄』のことば。

念仏者は、無碍の一道なり。

そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。

罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々

月刊『同朋』https://books.higashihonganji.or.jp/blog_detail.html?blog_code=4

東本願寺出版のページがリニューアルされています。

コメント

哀愍照護

2023年09月20日 | ブログ

常照寺2023秋の彼岸会

http://jyosyoji.info

 

どうか死しても過去の人とはならず

純粋未来として我らを哀愍照護したまわん

荒山 淳

 

先の「つぶやき」で紹介したことば。

遊煩悩林 2023.09.01

https://blog.goo.ne.jp/ryoten-jyosyoji/e/

彼岸会にて是非とりあげたく、ご門徒への案内に引用させていただいた。

ことばは、高史明さんの訃報に対して発せられたものですが、そこから私たちの物故者に対する姿勢・態度を学ばせていただきたいと。

亡き人の死をどういただくか。

彼の岸は死後の世界ではない。

いのちが向かう方向だ。

私の行く先。

どうやら過去ではない。

「純粋未来」とは。

彼岸会でたずねてみようと思う。

ご参詣をお待ちしております。

コメント

純粋未来

2023年09月01日 | ブログ

 

広島に赴いた。

平和記念公園を歩く。

記念資料館は訪日の方々で満館。前日などは入館するのに2時間待ちだったとか。

気のせいか、展示を見終えたであろう外国人らの多くは無口にうなだれているように見えた。

それは暑さのせいだけではないと思った。

原爆ドームへ。

私なりに込み上げてくるものを感じながら。

遺産を前に、どのようなつもりでここに来たのか、と問われる。

思い出したことがある。

今春、東本願寺でお勤まりになった慶讃法要。

その期間中、4月2日に行われた全戦没者追弔法会。

そこで朗読される「追弔の偈 戦争にいのち奪われたあなた方よ」。

今年は竹下景子さんの朗読をyoutubeで聞かせていただいた。

思い出したのは、この「追弔の偈」を作詞された高 史明さんの訃報。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/264693

お盆の忙しさの中に埋没させてしまっていた。

桑名別院の暁天講座には20年以上ご足労いただいた。

7月15日の訃報に、

どうか死しても過去の人とはならず

純粋未来として我らを哀愍照護したまわん

とSNSで荒山淳さんが応えておられたのが印象的で、今月の掲示板に引用させていただいた。

「追弔の偈」に

もの言わぬあなた方よ。

わたしたちはいま まっすぐに

見つめられる あなた方に。

無明に酔いしれているわたしたち

罪に罪を 重ねんとしているわたしたち。

あなた方の

深い沈黙からの眼差しに

わたしたちはいま まっすぐに

見つめられる。

 

何をなすべきか わたしたちは。

いのち奪われたあなた方が

いのち奪われてなお

生きとし生けるもののいのちを

見守らんとしているとき。

蒼ざめた耳底に

あなた方の澄みきった声が聞こえる。

あなた方の声。

いのちの声。

その声。

なむあみだぶつ

 

追弔の偈 https://jodo-shinshu.info/

過去のことではない。

いまと、いまを積み重ねてきた過去。

いまの連続としての未来。

終わったことでなく。

何をなすべきか。

見つめられている。

 

コメント

プロジェクト

2023年08月17日 | ブログ

12年目。11回目のプロジェクト。

何とかギリギリ台風をかわしながら。

往路の引率スタッフは、台風の影響をふまえて14日の早朝に三重を出発、16日のお迎えに備えたのでした。

今年のプロジェクトはウェブサイトのとおり。

http://booses.net/bosyu2023.html

帰路に引率するスタッフは、現地で宿泊して翌日、南相馬の現地視察とのこと。

チーム常照寺は、16日のお迎え、17-18日のキャンプ、19日のスペイン村、ともに過ごさせていただきます。

毎年ご支援いただきありがとうございます。

コメント

直撃か

2023年08月14日 | ブログ

盂蘭盆会。

台風7号。

時間的にも進路的にも。

お参りのご案内でなく、お断りのご案内になってしまいました。

ウェブサイトでもお知らせしておりますが、盂蘭盆会は僧侶による内勤め法要とさせていただきます。

http://www.jyosyoji.sakura.ne.jp/events.html

状況次第ではどなたさまもお参りいただけますが、くれぐれもご無理のないよう。

お焚き上げのご要望、護持会費のお納めはいつでも承ります。

どうかお内仏にてお手合わせいただき、お大事にお過ごしください。

また、台風の状況によっては本堂を仮の避難所としてご利用いただけます。

その場合は、それぞれ安全を確保の上、お越しください。

コメント

非ず

2023年08月01日 | ブログ

最初にお断りですが、

何も慰霊の宗教や鎮魂の思想を否定したいのではないです。

お念仏する者のスタンスというか、心構えというか。

念仏するより他に救われようのない立ち位置。

「おぼん」の真宗的理解。

とは言うものの、「真宗」という、「真」の「宗」は、「非真宗」的な発想によって、より明らかになる。

だとすれば、霊魂を慰めたり、鎮めたりしようとする発想を、「非」として排除するのか。

ではなくて、この「非ず」なる事柄によって、いよいよなむあみだぶつなる宗教がはっきりしてくる。

という言い訳をした上で、

 

偲ぶのはいいが

慰霊されたり 鎮魂されたりでは

故人は浮かばれん

念仏成仏是真宗

 

と、8月の掲示板に貼り出したわけです。

 

うかば・れる 【浮かばれる】

① 死者の無念さが解消されて霊が成仏する。

②苦労などがむくわれる。面目が立つ。

「浮かばれる」を変換したら出てきた。

 

ふむ。

霊が成仏するというのか。

そのためには無念さが解消されなくてはならない。

ということは、無念さが解消されてない死者を霊とするということでいいのか。

こじつけて、「無念」を「無・念仏」とすれば、なるほど理屈的には成仏しとらん。

とにかく。

浄土真実における「念仏成仏是真宗」は、果たして誰が成仏するといっているのかをはっきりさせないといけない。

「浮かばれる」話で言うならば、死者をまず霊にしてその無念さを消し去る作業を経て仏に成る、と。

「霊が成仏する」というのは、どこまでも他人事だ。

「霊が成仏できずに迷うている」というのも他人事。そんな不明な言葉によって人間が迷うだけだ。

仏教は霊を成仏させる教えではないと思う。

数多の霊を慰める手段として仏教を利用しようという大和魂はあったに違いないが。

誰かのために念仏するというのは違う。

「念仏成仏是真宗」は、人間が成仏するのだろう。

念仏によって霊を成仏させるという他人のはなしではない。

まぎれもないこの私がお念仏の教えをいただいて仏と成る身をいただく。

つまり、私の成仏が問題にならないと、いつまでも迷うばかりだ。

迷うのも私であって、亡き人ではない。

死んだ人を霊にして慰めようとか、魂を鎮めるとか、すでに成仏された方に対する態度ではない。

つまり「浮かばれん」というのは、遺された者が迷っていては、亡き方が成仏した甲斐がない。

なむあみだぶつと手を合わせることで私が浄土に往生する身とならしめられたところに亡き人の成仏を証明していくのだ。

真宗の「おぼん」は、アレやコレやしなくてもよいのはお念仏あってのこと。

ただそのお念仏がなかなか出てこない。

何なら自分のためにお念仏するより、アレやコレや他人に世話をやきたいのが私の本性かもしれない。

私の成仏は問題にせず、故人に対する供養にしか関心が向かないとすれば。

「易行念仏」の時代は廃れ、念仏は「難行」の時代を迎えている。

いや難行にしてしまったのは誰か。

否、ただ死者の供養のためだと思って発した念仏によってこの私の成仏が約束されるのだ。

それが見返りなど要求しない仏さまのお仕事であった。

コメント