
長野松代へ。
松代大本営跡地を見学。
戦争末期、本土決戦を見据え、政府機関を移設させる計画。
沖縄戦がズルズル長引いた故の惨禍の理由はここにあったといわれます。
1944年の秋から翌年8月の終戦まで、9ヶ月の突貫工事で8割ほどが完成したと。
当時は極秘裏に、壕は「倉庫」と呼ばれ、イ号からロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・チ・リ号の9つの壕にそれぞれ大本営、政府、放送、電話、通信等の各機関や仮皇居、賢所、軍令部となる海軍壕に及ぶ一帯の工事は「松代倉庫工事」と呼ばれ、関連施設は松代だけでなく長野盆地一帯。
知らなかったのは、知らされていなかった日本人だけで、米軍をはじめとする連合国がそれを知らなかったということはないのではないかと思った。
見学できるのは、「イ号倉庫」と呼ばれた象山地下壕の500mほどの区間ですが、この象山に掘られた地下壕だけでも、総延長は5.8km、床面積は23000㎡に及ぶ。
厳密にはこの「イ号倉庫」には政府機関とNHK、電話局が入る予定で、象山とは別の舞鶴山に掘られた「ロ号倉庫」がいわゆる大本営の入営地だったと。
イ号・ロ号、食料庫となるハ号、そして天皇・皇后・宮内省が入る仮皇居はほぼ完成したが、杭口だけで未完のまま終戦を迎えたのが「賢所」。
つまりは伊勢の神体を祀る場所ということ。
天皇と神器をともに遷す。
ポツダム宣言を受け入れず、戦争遂行に拘った背景。
ひとことで言えば国体護持ですが、具体的には、そのために沖縄戦を長期化させ、原爆投下にまで至る。
何を守ろうとして、何を捨てたのか。
戦後、長野を巡幸された天皇が知事にたずねたという。
「この辺に戦時中、無駄な穴を掘ったところがあるというが、どのへんか」と。
発言をどのように受け止めるのかはそれぞれですが、「無駄な穴」は誰が何のために掘ったのか。
学徒動員という末期的状況下、日本の労働力を補った朝鮮人労働者の犠牲。
「犠牲」という言い方は、何かの目的が達成されたことによる表現だとすれば、「無駄な穴」を強制的に掘らされた方々の死は何だったかと。
「無駄な死」とするかどうかは、その死から私たちが何を学ぶかによるのだろう。
無駄にしない活動を、松代大本営平和祈念館の方々が続けておられます。
近く念願の祈念館も開館するとか。
http://matushiro.la.coocan.jp/kinenkan/newpage2.html
当日は学芸員の方に丁寧なガイドをしていただきました。
戦時を語る人々が少なくなっている現状において、遺跡を通して学んでいくことの重要性。
掘削による石屑は、戦後、厚木基地や三沢基地の滑走路の資材になっているそうです。
その滑走路から今度はどこに何を飛ばそうとするのか。
学び続けなくてはなりません。
私たちは何を大事にして生きるのか。
松代を離れて、上田駅前の宿に宿泊。
古い居酒屋の店主から、長野五輪の決定からの建設ラッシュ、新幹線の開通、オリンピックの開催を経た街の様子と人の変化についていろいろ聞かせていただいた。
翌朝、戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪問。
https://mugonkan.jp/
戦没画学生の作品と名前、年齢、出征地や生い立ち、手紙、家族のことばの展示を見学。
帰りは静かに長野を離れました。