遊煩悩林

住職のつぶやき

いつどこにいる

2019年08月01日 | ブログ

おぼん

地域によって7月盆・8月盆あるようです。

常照寺のご門徒におかれては7月中旬から8月の中旬にかけて「おぼん」期間といえます。

お盆はいつからいつまで?とよく聞かれますが、常照寺においてはこのヒトツキと言っております。

 

私たちのお仕事は「仏教を伝える」、お釈迦さまの“み教え” をお伝えするというお役割であろうかと思います。

もちろん「お経を読む」ことは、お釈迦さまの法をお伝えすることに他なりませんが、それを今、ここに生きる人々にお伝えするのに、私がいただいた教えを人にお話しするということが大事なお仕事だと。

ただ、この「期間中」は、時間的な制約上ただひたすらに漢文の「経」(厳密には「偈文」ですが)を読むことになり、せっかくの機会にも関わらずゆっくりとお話をする暇を設えられない。

ふとすると経を読む「作業」のようになってしまう。

じゃ、オッさん(住職のこと)どんなモチベーションでおまいりしとるの?

とは、さいわいに誰も聞いてはくれませんが、作業化しないために自問自答。

今年は

穢土に居て浄土を見出す方法が念仏なのです

yasuda rizin 238

この言葉を憶念しながら。

と、8月の掲示板に掲げました。

ずいぶん前にSNSにあがっていたことばです。

安田理深先生の言葉でしょうか。どなたかがrizinとなって仏の道理をネットに刻んでくれています。

この言葉に続いて

穢土に居て浄土を見出す方法が念仏なのです。どこに居てもです。何もだんたん進歩して社会になって念仏が出てくるのではない。それが封建制度であろうが資本主義であろうが原始共産制であろうが、そういうことにはおかまいなしにです。時代が進歩して来て念仏者が出るというものではない。時代が封建制度であろうがその封建制度において封建制度を超えていくのです。社会主義時代においても社会主義時代において社会主義を超えていく。別に社会主義をやめてといことではありません。社会主義をやめれば新しい社会主義になるだけです。

と、ここまで “238” として掲載されています。

「穢土に居て浄土を見出す方法が念仏」だと。

同時にそれは「なんまんだぶ」と発声する音によって、穢土を知らされるということでもありましょう。

「なんまんだぶ」は浄土の喚び声でしょう。それによって「いま」「ここ」という、私が生きている時と場所を教えられる。

「お前はいつどこに居るのか」という問いをいただきつつ「おぼん」に励みます。

http://jyosyoji.info

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