遊煩悩林

住職のつぶやき

人真似ばかりの輩

2007年11月20日 | ブログ

そもそも当月の報恩講は、開山聖人の御遷化の正忌として、例年の旧儀とす。これによりて、遠国近国の門徒のたぐい、この時節にあいあたりて、参詣のこころざしをはこび、報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあいだ、毎年七昼夜のあいだにおいて、念仏勤行をこらしはげます。これすなわち、真實信心の行者、繁昌せしむるなり。

本願寺第八代蓮如上人が文明15年のこの月に書かれたとされる御文さま(第四帖第六通「 御正忌-三箇条-」)です。今年も明日から28日までの間、真宗本廟(東本願寺)では報恩講がお勤まりになります。常照寺の所属する真宗大谷派の南勢一組内の寺院でもこの期間中に4ヶ寺の報恩講が予定されています。それぞれ縁のあるお寺に「参詣のこころざし」をお運びいただきたいところです。
さて、先の御文はこう続きます。

このゆえに一七か日のあいだにおいて、参詣をいたすともがらのなかにおいて、まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやからこれあるべし。かの仁体において、はやく御影前にひざまずいて、回心懺悔のこころをおこして、本願の正意に帰入して、一念発起の真實信心をもうくべきものなり。

常照寺のご門徒内には、報恩講ということばさえご存じない方もいらっしゃると思います。全く住職の怠慢であると自覚しています。「報恩」とはいいますが、誰の、どんな恩に報いるのかをまず「知る」ところからしかはじまりません。ですが、その「知る」ことさえもままならない私たちではないでしょうか。
「まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやから」とは、私のような坊主のことをいうのでしょうが、たとえお寺に身を運んだとしても、やはり「知る」ということが抜け落ちてしまうとそれは「お参り」したことにならないのではないでしょうか。「人真似ばかりの輩」とは厳しいことばですが、私の姿を言い当てています。
仏さまに手を合わせる姿は、親の真似をして体が覚えてきたのかもしれません。しかし、いつまでも人真似ばかりのままでは、学びも深まりません。
そんなことを内心にもちつつ、縁のあるお寺さまやご本山の報恩講にお参りさせていただきたいと思っています。

2007年真宗本廟報恩講のご案内

Title

コメント    この記事についてブログを書く
« 私が居なければという錯覚 | トップ | 何のために生きるのか »

コメントを投稿