遊煩悩林

住職のつぶやき

たすからん

2016年12月21日 | ブログ

さてさて、告知させていただいてからずいぶん時間が経ちました東海テレビ「スイッチ」。

「はじめまして - 街道を歩く - 」という企画での取材でしたが、さて放送があるのか、カットされるのか。

いよいよ番組は伊勢市内へとやってきましたので、明日か明後日かというタイミング。

しかしこのタイミングは別院報恩講とダダかぶり。放送時間はお日中法要の最中ですので、業界関係者は視聴不可かと思われましたが、明後日であれば午後1時の結願日中までの間にチェックしていただければ幸いです。

人はちょっとうまいこといったくらいではたすからん

と書いた先月の掲示板。

「そやなぁ、たすからんたすからん」

「じゃどうやったらたすかんねん!」

とノリツッコミ的自問をしながら、先月末は地元の仲間たちと東本願寺の報恩講にお参りさせていただきながら尊い言葉に出遇わせていただいた。

放送されるかどうかはとにかく、テレビ取材で問いを受けた以上、寺の責任者としては何かそこに応える義務を果たさねばと。

おねんぶつの仏教にわが身を学ぶものとして

助からぬことがわかったときにお助けがある

という応答を12月の掲示板に書きあげさせていただきました。

暁烏敏という仏者のおことばです。

一見はぐらかされているようにも聞こえるかもしれませんが、浄土真宗の救いということをまことに的確に、そして私たちが陥りやすい感覚をするどくついてくださることばです。

私たちが陥りやすい感覚というのは、「ガンバロウ」ということです。

ガンバレガンバレ、もっともっとガンバレという声なき声に支配されている国家のなかで、頑張ったら報われる、頑張って救われようとする我が根性。

うまいこといったのは頑張ったからだという自己満足。ダメだったのは頑張りが足らなかったからという自己責任の脅迫。

そんななかで、まさに自分の力で助かろうと頑張っている。どうなったら助かるのか、どうなったら救われるのかということもはっきりせずに、です。

ガンバルのは大切だと思います。決して頑張るなとか、頑張らんでいいということが言いたいのではありません。

ただ、頑張ってちょっとうまいこといってもやっぱり助からん。そこにまず立脚しなくてはならんのでしょう。

いくら頑張ってもじぶんの力では助からん。

頑張って何とかしようという私に「何ともならんよ」と。

頑張っても何ともならないことがわかったときに、おたすけがおたすけの方からやってくる。

それが「他力」ということなんでしょう。

この「他力」のことを浄土真宗では「阿弥陀如来の本願力」と表現し、ナムアミダブツという。

ただこれでは、ただの知的理解です。

問題なのは「たすからんことがわかる」かどうか。

どうもそれが私にはわからない。分かり得ないのかもしれません。

そうはいっても自分の力で頑張っているといういう自負の中に生きている間には、少なからず分かり得ないのでしょう。

自分を「たすからない」者として見いだすことなど果たしてできるのか。

「助からんことがわかったときにお助けがある」というのは、私には到底成り立たない救済かもしれない。

さて、一番やっかいなのがこの考えなのだ。

他力の本願を自分には成り立たない救済ではないかと疑ってかかっている。これはやっかいだ。

やっかいな私だけど、そんな私が疑おうが信じようが、そんなことには関係なく「たすけよう」というはたらき、たすけようとされるほとけさまがおいでになる。

頑張って信じなくてもいいのだ。

だけど、信じられているということだけは知っていた方がいい。

この世に人間として生まれてそのことがわからなければ、恩知らずの一生だ。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
クリスマスプレゼント (釈了典)
2016-12-25 11:52:21
東海テレビ「スイッチ!」のスタッフさんから、クリスマスイヴの日にお電話をいただきました。
火曜日の放送です!

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