遊煩悩林

住職のつぶやき

往生極楽の道

2008年03月04日 | ブログ

2011年にお迎えする宗祖親鸞聖人の七五〇回御遠忌のお待ち受け事業として行われている「お待ち受け総上山」に行ってきました。今回は常照寺が所属する南勢一組の各寺院から「帰敬式(おかみそり)団体参拝と銘打って募集した方々とともにバスでの参拝でした。参加者のうち引率と付き添いの方を除く20名の方が帰敬式を受式し、仏弟子としての名のりである法名を受けられました。また、御遠忌の特別記念事業として行われている御影堂の御修復現場を改めて視察して、その進捗状況を確かめてきました。
(常照寺のホームページに写真をアップしていますのでご覧下さいhttp://homepage.mac.com/jyosyoji/
1日早朝、9時30分の東本願寺到着を目指して6時30分に常照寺を出発したバスは、伊勢自動車道を経由して開通したての新名神高速へ。まだ側道には雪が残っていましたが、なんのなんの。あっという間に草津の名神に連結し、京都へ。道中2カ所でゆっくりと休憩をしましたが余裕の到着でした。新名神高速道路のホームページ
http://www.genki-shinmeishin.jp/)によれば京都-伊勢間は自動車で従来2時間45分のところが1時間55分に短縮されたそうです。何かと京都に行く機会が多い私にとっては確かに便利だなーと実感するものがあるのですが、この50分は一体どうなるんだろうと思ってしまいました。
実に50分京都が近くなったわけです。厳密にいえば京都が近くなったのではなくて、道路がよくなったわけですが、同ページによると「京都-伊勢 一日行動圏に」とありますから、そのものさしからすると、何かこの辺の地図が小さくなったような感覚です。Googleの地図(http://maps.google.co.jp)でもそうですが、地図は拡大すればするほどそこに土地の名が細かく表れてきます。地図がだんだん小さくなるとだんだん大まかになっていくわけです。高速道路は地域に活性をもたらすとかいうのは建前に過ぎず、実際は主要都市から主要都市へのドーナツ化を生み出しただけでした。それだけではなく、都市から田舎に人がやってくることは疎か、地元の人間が都市に出て行きやすくなっただけと指摘されています。地方から人を奪ったのも高速道路なのでしょう。
「一日行動圏」という行政用語もピンとこないものがありますが、京都-伊勢の往復は確かに便利ではあるけども、その「間」はどうなっていくのだろうと思わずにはおれません。かつての東海道の「宿」はもはや「宿」ではありません。だけどかつての宿場町としての空気があります。もうそれを感じることもなくなっていくのでしょう。伊勢-京都であっても今回の団参のように日帰りがますます楽になったわけです。古い感覚からするとお伊勢参りにおける伊勢は目的地でありましたから、そこで一晩、というのが最もでしょう。京都もしかり。しかしもはや目的地は通過点に過ぎないものになってきたのではないでしょうか。「目的の地」の「目的」は何であって、その「道」とは何なのか。人生に置き換えて問われてきます。
人は時間を生きています。「時はいのちだ」といわれた人もあります。ですが鉄道や自動車がない時代に、せっせと京都へ歩かれた方のご苦労を思ったとき、その数日間の道のりはまさに「生きる道」を求める時間でありました。何も当時を美化するつもりはありませんが、その道のりは何か中身のある、充実したものであったのではないかと思うのです。
親鸞が生きておられた時代、関東から京都に聖人が戻られて以降、関東では誤った念仏の理解が広まります。関東のご門弟は宗祖のお念仏の教えを求めて「おのおの十余か国のさかいをこえて(歎異抄)」京都に向かいます。その道のりは歎異抄によると「ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり」とあります。お金や時間を惜しむこともなく「道」を求められたわけです。
今回、上山を終えて帰りの道中、バスの揺れにうつらうつら居眠りをしながら帰ってきたわけですが、往生極楽の道をいま説いてくださっておられる宗祖に出遇ってきたと果たしていえる上山であったのか?また、快適となった京都への道が、はたして生きる「道」を尋ねる道であったのか、問われます。
宗祖の御遠忌の理念は「宗祖としての親鸞聖人に遇う」であります。

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