遊煩悩林

住職のつぶやき

はじまらん

2020年01月09日 | ブログ

年末に亡くなった叔母の葬儀を年明け早々に勤めました。

念仏の寺に生まれ、念仏の家に嫁ぎ、念仏に生きた叔母でした。

昨年末のお寺の掲示板に

念仏がないと年を越せん

と書きました。

娑婆の論理からすれば、叔母はいくら念仏に生きたといっても年を越せなかったじゃないか、と。

浄土の論理でいえば、念仏に生き、往生し、仏に生まれて年を越していかれた、と。

時間という限定を離れた世界から、限定的な時間を生きる私たちにお念仏してくださっている。

生きて念仏、死んでも念仏しておってくださる。

ただそのお念仏に応えて私も念仏するしかありません。

そこからしか何もはじまってこない。

年初の掲示板に

念仏せんと何もはじまらん

と記しました。

「何もはじまらん」の「何も」。生きることすらはじまらん。いのちがはじまらん。

この世に生まれて、生きとるつもりですが、何のために生まれ、何のために生きとるのか。

お念仏がないと、ほんとうに「生きる」ということがスタートしていかないのだと。

お念仏がないと年を越したことも、新しい年の光に遇うたことも何の意味ももたないのだと。

お念仏することからはじめていきます。いや、私がはじめる以前にはじまっていました。

私に、はじまっていきたいと、常にはじまり続けてまいります。

なむあみだぶつ。

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