「およそなりたくないものになるという身の事実」
子どもたちとの会話のなかで、たまに「何になりたい?」という話題が出てくる。
いわゆる将来の夢というのか。
いや、まだはっきりしていなければ夢ではないか。
老人になるんやで。どんな老人になりたい?
病人になるんや。どんな病人やろか?
死人になるんやで。どんな死に方すんのかな・・・
家族団欒。
さて、夢も希望も今は昔の世代。
誰と何を語らうべきか。
何になりたいか。
欲を言えば「お化け」か。
できるだけ「若く」「健康」で「長生き」をしたいとすれば。
2-30歳の身体能力を保ち、病気もせずに100歳まで行こうとするならば、お化けとでも言われたい。
「およそなりたくないもの」は、「老人」「病人」「死人」だと。
身の事実を学ぶというのはなかなか。
そんな暇があれば、ジムに行ってトレーニングして、エステに行って、ドラッグストアでサプリメントを買って、と。
学んでいる暇はない。
ただ、老病死が道理である以上、どこまでそれに反していけるか。
その頑張りも大事な煩悩。
煩悩の身にこそ届いてくる世界があるという。
学びの向こう岸には、決して私の都合のいい夢や希望はなくても、願いと光が溢れているのだ。
ともに学びの場に。
台風の影響が気になるところですが。
どなたさまもご用心を。
彼岸に会えますことを。