遊煩悩林

住職のつぶやき

予習と復習

2019年03月01日 | ブログ

さてお彼岸の支度です。

彼岸の中日に彼岸会をお勤めします。

今年も東本願寺同朋会館教導の荒山信さんにご法話をいただきます。

昨年の彼岸会の法話のメモを読み返してみました。

理想の娑婆であれば彼岸は要らない

現実が苦だから彼岸が求められる

思いどおりにならない現実(身)だからこそ、彼岸(浄土)の教えが開かれている

走り書きがありました。

「どうして彼岸を勤めるのか」と、聴衆の私の顔に書いてあったのだろうか。

「彼岸って何なんだ」「どうして教えを聞かなくてはならないのか」

そんな娑婆の問いかけに丁寧にお話しいただいておりました。

 

そして親鸞聖人が教行信証(信巻)に引用された

蟪蛄春秋を知らず

伊虫あに朱陽の節を知らんや

曇鸞『浄土論註』

を板書されておられます。

「蟪蛄」は「けいこ」、蝉のこと。「伊虫」は「いちゅう」、「この虫」。「朱陽(しゅよう)の節」は夏。

つまり、蝉は春秋を知らない。だからこの虫は夏ということも知らない、と。

そこでです。

娑婆の知恵だけでは娑婆のことはわからない

のだ。だから

浄土の声を聞かないと娑婆は生きられない

と私の走り書きは結ばれています。

さて、それでもこの私がどうして教えを聞かなくてはならないのか、と。

繰り返し巻き返し聞くのみです。

3月の掲示板には、昨年のご法話をふまえて

彼岸の声を聞かないと此岸は生きられない

と記しました。

「どうして教えを聞くのか」という問いは、すなわち「何のために私は人間に生まれたのか」という問いでしょう。

ともに彼岸の声「に」私「を」聞いてまいりたいと思います。

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