遊煩悩林

住職のつぶやき

聞法のモチベーション

2020年01月06日 | ブログ

お年賀を申し上げました。

今年の聞法のテーマとして、親鸞聖人の『唯信鈔文意』から

能令瓦礫変成金

という言葉を掲げてみました。

昨年、さまざまな関わりのなかで、この言葉の前後の文章を幾度となく耳にして、聖典のこの頁を何度も繰りました。

「能令瓦礫変成金」というは、「能」は、よくという。「令」は、せしむという。「瓦」は、かわらという。「礫」は、つぶてという。「変成金」は、「変成」は、かえなすという。「金」は、こがねという。かわら・つぶてをこがねにかえなさしめんがごとしと、たとえたまえるなり。

この文章の前に

具縛は、よろずの煩悩にしばられたるわれらなり。煩は、みをわずらわす。悩は、こころをなやますという。屠は、よろずのいきたるものを、ころし、ほふるものなり。これは、りょうしというものなり。沽は、よろずのものを、うりかうものなり。これは、あき人なり。これらを下類というなり。

この文のあとに「能令瓦礫変成金というは・・・」。

続いて

りょうし・あき人、さまざまのものは、みな、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり。

と。

『五会法事讃』の「但使回心多念仏 能令瓦礫変成金」について解釈された文章です。

難解で、一人では読んでいけそうにもありませんが、ただ、今このことばがとても必要な時を迎えていることを感ぜずにはおれず、ともに学んでいきたい意を込めてお年賀にしたためたようなことです。

「但使回心多念仏」の釈には、「みずからが身をよしとおもうこころをすて」とあります。

自らを善しとする心を捨てるどころか、善しとするものを手に入れようともがいている私のありさま。

教えの言葉によって、身を省みようともしない我が身を言い当てられ、教えを聞くことの意味とモチベーションを与えれています。

皆さまからいただいたお年賀には、2023年に宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年を迎えていく旨のご案内も目につきました。

親鸞さまの「われら」の境地に、ともに学び、ともに立ち、ともに歩んでいきたいと思います。

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