遊煩悩林

住職のつぶやき

頭北と頭寒

2008年11月20日 | ブログ

聖人弘長二歳  壬戌  仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうして同第八日午時、頭北面西右脇に臥し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ。時に、頽齢九旬に満ちたまう。(「御伝鈔」下 第六段)

「弘長二歳 壬戌」は西暦1262年。(「壬戌」についてはこちらhttp://ja.wikipedia「仲冬」は古来の季節で春夏秋冬。1・2・3月が春。4・5・6月が夏。10・11・12月が冬で仲冬は11月。
「下旬」というのは1ケ月を10日ごとに区切って上旬、中旬、下旬、つまり11月20日前後ということ。
「不例」は、身体の調子を崩したということ。つまり1262年の11月20日ごろから体調を崩されて床につかれたのです。
そして「下旬第八日」ですから28日。その「午(うま)の時」。真夜中の12時から2時間ごとに配置して十二支で24時間ですから「午の時」というのは昼の12時。「正午」が12時ちょうどですから、それよりも前が午前、後が午後と、今でもいっているわけです。
さて746年前の11月20日、体調を壊したこの方は、床に入って世間事などの余計な事を言わずに「称名(お念仏)」を申されていた。そして28日のお昼ごろ、頭を北に向けて、お顔を西に向けて「念仏の息絶えましましおわりぬ」、お亡くなりになったと伝鈔には記され、絵伝にも描かれています。
「頭北面西右脇」、お釈迦さまの入滅のお姿がそうでありました。頭が北で顔を西に向ければ右脇は下になります。このお釈迦さまのお姿に習われてこの方も最期のときを迎えたのです。
私たちはこの方を宗の祖として、毎年そのお姿が御安置されている真宗本廟ではこの21日から28日までの間「報恩講」がお勤まりになります。2008真宗本廟報恩講日程/東本願寺
この間、この方の御絵伝が掛けられ、御伝鈔が拝読されます。その御一生に私たちの生き様を学ぶのです。

ところで「頭寒足熱」といいます。頭を冷やし、足を温める。これが睡眠に適した姿だといいます。私の寝床は北側に窓があるので、外の冷気がそこから漂ってきます。ですから北を枕にして、おそらく顔は西を向いたり東を向いたり、上にしたり下にしたりして毎晩休んでいます。「北枕はよくない」とはくだらない話です。
今朝は寒さがこたえました。頭上の冷気が頭を冷やすだけでなくて、布団の隙間から肩まで冷やしてくれました。この時期にこれだけ凍えていたら真冬はどうなるんだろうといいながら暖房器具で暖をとる私でありました。
昨晩は父親の故郷白川村でも、はや積雪があったと報道されてもいました。冬場は合掌造りの屋敷の2階から出入りしていたとも聞いています。
ところで、父親の祖母、つまり私のひいばあちゃんは越中赤尾の行徳寺というお寺に生まれました。そのお寺には蓮如上人の教えに生きた道宗というご先祖がおられます。今から500年も前にその道宗が記したことばがあります。

一日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。一月のたしなみには、ちかきところ、御開山さまの御座候うところへまいるべしと、たしなむべし。一年のたしなみには、御本寺へまいるべしと、たしなむべし。(蓮如上人御一代記聞書)

このことばが、東本願寺の報恩講のご案内にある大谷大学准教授一楽真先生の「報恩講に憶う」ということばに引用されていました。
「たしなみ」は今にいう「好み」とか「趣味」でなく「心がけ」というニュアンスでしょう。毎日お内仏に手を合わせるよう心がけよ、と。また、毎月お寺に足を運ぶよう心がけよ、と。そして毎年ご本山に参るよう、と申され、毎年何日もかけて越中から徒歩で京都にお参りされたといいます。
さて、500年のときを超えて現代に生かされる身である私が、ご本寺(本山)に日帰りもできるところにありながらご本山の報恩講に果たして足が向くような私であるのか、ご先祖からも問われているのでした。

コメント