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遊煩悩林

住職のつぶやき

問いつづけること

2007年06月14日 | ブログ

三重教区の協議会が開催されました。
教区の協議会委員は各組正副組長、要員、門徒会、坊守会などの役職者で構成されていたと思うのですが、それならば少なくとも30~40人の委員がいるはずです。
ですが協議会には15名ほどしか集まりませんでした。
講師と教務所員、協議会長、3名の発表者、司会者を除けば、住職は4名、門徒会から4名、坊守会から2名の参加でした。
それぞれご多用の身であることは充分承知の上で、あえて申すならば何かそこに同和問題に対する住職らの意識の低さを感じなくもありません。
逆にこの問題に対して強い意識を持たれて独自に活動されている方もおられます。それは「教区」という組織の中で構成される協議会ではどうしても積極的に関わろうとする姿勢が生まれにくく、また役職者への宛て職のために関わりたくとも関われない現状があるからです。
かつての糾弾によって大谷派の各教区にこの協議会が発足したわけですが、どうしてもそれが「やらされている」感覚として、いまだに蔓延しているということでもありましょう。

さて、協議会では昨年の協議会で「問題の現状と宗教者への提起」というテーマで講義をされた四日市の山城弘敬氏を再びお迎えして、昨年の講義を踏まえて3名の委員から問題提起があり、協議が行われました。
昨年の講義では、山城氏から「差別をなくすことを目的としない運動を」という提言があり、何か共感するものを感じていました。個人的にはそこのところをもう少し掘り下げていきたいと思っていたのですが、なかなかそんな思うようには展開しませんでした。
ご門徒の参加者が半数を占めていたこともあり、ご門徒からは率直な感想と意見が出ました。
「どうして寺が差別問題に取り組まなくてはいけないのか」というところにはじまり、「大谷派はなぜ同和問題にそんなに力を入れるのか」といった疑問や、「差別はもうないのでないか」「そんな過去のことを掘り起こさなくてもいいのではないか」、そして「こんなこと(協議会)をやっているから差別がなくならないんだ」そんな意見が忌憚なく発せられていました。
同和問題が社会問題としてしか捉えられていないことを痛感するとともに、信仰の課題であることが正しくご門徒に伝わっていない現状を深く認識させられました。また、差別の実態や意識が潜在化していることで、「差別」そのものが認識できない、実感できない、そういうところに来ているのではないかと感じます。そこから「自分の周りには差別なんかない」という言葉が出てくるのではないかと思います。
浄土真宗とは人間を分け隔てることなく御同朋として見出していく教えです。「どうしてこの問題に取り組まなくてはならないのか」という問いは大切な問いです。この問いを大切に問うていきたいと思います。

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