遊煩悩林

住職のつぶやき

何に手を合わせる?

2006年02月02日 | ブログ

南勢一組の門徒会研修会が常照寺で開かれた。
門徒会は南勢一組の寺院の中から各寺院の門信徒の代表者それぞれ2~3名で組織されている。南勢一組の場合、総勢40~50名で構成される。

真宗大谷派という組織は宗議会と参議会の両議会の議決によって宗政が行われているが、宗議会は全国の僧侶、数万人中の代表者65名から成り立ち、参議会は全国の幾百万の門徒の中から選出された65名で成り立っている。
門徒会はその参議会の選出母体となる組織である。
任期は3年。その3年の任期の締めくくりになる研修会が、今日開催された。
テーマは「真宗門徒の生活」。講師の先生によるサブタイトルは「何に手を合わせて生きているか?」であった。

「何に手を合わせて生きているか?」という問いは、そのまま何を大事にして生きているか?ということである。

今日お集りの門徒会員はすべて真宗門徒。門徒の代表者である方々への問いであるから、皆がもちろんお内仏(お仏壇)に手を合わせている。
参加者のフリートークの時間が持たれたとき、「では仏壇の何に手を合わせるか?」という事が問題になった。皆が真宗の門徒であるから、手を合わせる対象となる真宗の仏壇は、それぞれ大きさは違えどもそこにご安置されているものは同じである。

真宗の仏壇の中心には「ご本尊」がご奉掛されている。しかし実際手を合わす対象となるのは「ご先祖さま」だという意見が多い。
「ご先祖あっての私である」と。
そうすると問題となってくるのが「ご本尊」の存在である。「本当に尊いこと」とされるべきご本尊をご安置しながら「ご先祖さま」に手を合わせるのであれば、「本当に尊いこと」を現すご本尊よりも「ご先祖さま」を大切にしているということになる。ではご本尊の意味がないではないか。

今日のこの研修の場を与えられることによってはっきりしたことは、私たちはご本尊とすべき最も大切な事柄をないがしろにして生きているということである。
そして、ご本尊を無視してご先祖信仰に励むことで除災招福を願うとなれば、どこまでもわがままな信仰、自己中心的な信仰でしかない。

ではご本尊とは何なのか?という問いは、いったい私は何を最も大切なこととして生きているのか?という問いである。
ご本尊に向かい合う生活の中で、問い、確認する生活が真宗の門徒に願われている。
ご本尊に向かい合うということは、どこまでも自分自身の心のあり様を見つめていく生き方である。
そんな、ご本尊を中心にした生活が亡き方々から願われているのだ。
「ご本尊を中心にした生活」とはどこまでも自己中心性を乗り越えていく歩みである。
同時に先祖を敬うとは、そのような歩みを実践することであろう。

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