ここは世田谷豪徳寺 (三訂版)
第95話《さつき今日この頃・3》さつき
「そ、それ、本物の関の孫六! 触れただけで頸動脈が切れちゃうよ(;'∀')」
さっきまでの落ち着きはどこへやら、だるまさんがころんだで鬼が振り返った時のようなへっぴり腰で刀を指さす忠八君。
恩華の首筋からは一筋の血が流れ、カットソーの襟を赤く染めている。
まるで部屋の中に揮発したガソリンが充満していくような危うさだ。ほんの身じろぎ一つで恩華の心の火が充満したそれを爆発させてしまいそう。
忠八クンは、それ以上何も言えなくなり、あたしは息をするのも苦しくなってきた。篤子さんはわたしたちと恩華の間に立って、わずかに眉を傾け、三人の中で、ただ一人恩華を刺激しない存在に成りおおせている。部屋の空気が爆発しないで済んでいるのは篤子さんの茫洋とした温かさなのかもしれない。
しかし、篤子さんにしても爆発させないことが限度で、恩華の首から孫六を離させることはできないようだ。
まるで部屋の中に揮発したガソリンが充満していくような危うさだ。ほんの身じろぎ一つで恩華の心の火が充満したそれを爆発させてしまいそう。
忠八クンは、それ以上何も言えなくなり、あたしは息をするのも苦しくなってきた。篤子さんはわたしたちと恩華の間に立って、わずかに眉を傾け、三人の中で、ただ一人恩華を刺激しない存在に成りおおせている。部屋の空気が爆発しないで済んでいるのは篤子さんの茫洋とした温かさなのかもしれない。
しかし、篤子さんにしても爆発させないことが限度で、恩華の首から孫六を離させることはできないようだ。
フワリ…………
気づくと、朝顔の匂いが巡ってきた。いつの間にか窓が半分開いて、窓辺に一輪の朝顔が茎の付いたままで置かれている。
―― 忠八さん、とうとう成功しましてよぉ。夕方までもつ朝顔 ――
窓の外で柔らかな声がした。
人の手の平ほどの朝顔は、微かな風に花と葉っぱを揺らせ、それに魔法がかけられたようにみんなは見入ってしまった。
ほんの数秒かと思われた時間のうちに声の主は、ドアを開けて朝顔の化身のようにソヨソヨと立っている。
「このお家に来てから、ずっと探していたんです。朝顔が夕方まで枯れずにおられる気をもった場所を……それが、このお部屋の窓の下。ちょっと拝借ね」
そう言って、朝顔の化身は恩華から孫六を受け取ると、水差しの中でサラリと水切りをして、朝顔を一輪挿しに活けた。
朝顔の香りが、いっそう芳醇になってきて、気が付けば、みんなが朝顔の化身を取り囲んで、話を聞く格好になっていた。
「……というわけで、わたしは四ノ宮忠八さんの奥さんになりました」
朝顔の化身は、自分が忠八クンのお嫁さんになったいきさつを、小学生の朝顔の観察記録のような短い文節を重ねるだけで納得させてしまった。化身の名は孫文桜という。
「朝顔は朝に咲いて、お日様が顔を出したころには萎んでしまいます。それが朝顔の決められたあり方。ただね、場所や条件さえよければ、こうやって夕方ぐらいまではもたせることができるの。ね、あなた」
化身は、忠八クンに振った。
「ああ、そうなんだ。国にも、花のような生理があるんだ。朝顔のように暑い夏に涼しそうな花を付けて終わってしまうようなもの。うまく人の手を加えると、寿命はのばせるけど、何年ももたせることはできない。でも、種はしっかり残って、来年にはまた花を咲かせる。桜は葉っぱのままの時期が一番長い。満開に花を咲かせるのは、ほんの一週間ほど」
「まあ、桜は品種や育つ場所で咲く時期や長さが違いますね。さつきさんの妹さんは、やっと咲き始め。わたしは……忠八さんの育て方次第」
朝顔の化身は、いつの間にか桜の化身になっている。
「Cという国は、ラフレシアのように巨大な花になったり、程よい大きさのいくつもの花に変わったり。でも、その両方ともCという国なんだ。そして、その境目には自分も痛むし、他の国に影響を与えることもある。でも、その大きくなったり程よく分かれたりする中で、良くも悪くも周りの国に影響を与える。それがアジアというお花畑のありようだと思うんだ。お花畑には花守がいる。ここにいるみんなも、その花守の一人だと思うんだ……いい花を咲かそうよ」
孫桜さんが窓を開けた。暑さとともに庭の花々の匂いがいっせいに押し寄せてきた。
「さあ、この香りの中には何種類の花があるでしょうか?」
いたずらっぽく言う孫桜さんは、どことなくさくらに似ていた……。
気づくと、朝顔の匂いが巡ってきた。いつの間にか窓が半分開いて、窓辺に一輪の朝顔が茎の付いたままで置かれている。
―― 忠八さん、とうとう成功しましてよぉ。夕方までもつ朝顔 ――
窓の外で柔らかな声がした。
人の手の平ほどの朝顔は、微かな風に花と葉っぱを揺らせ、それに魔法がかけられたようにみんなは見入ってしまった。
ほんの数秒かと思われた時間のうちに声の主は、ドアを開けて朝顔の化身のようにソヨソヨと立っている。
「このお家に来てから、ずっと探していたんです。朝顔が夕方まで枯れずにおられる気をもった場所を……それが、このお部屋の窓の下。ちょっと拝借ね」
そう言って、朝顔の化身は恩華から孫六を受け取ると、水差しの中でサラリと水切りをして、朝顔を一輪挿しに活けた。
朝顔の香りが、いっそう芳醇になってきて、気が付けば、みんなが朝顔の化身を取り囲んで、話を聞く格好になっていた。
「……というわけで、わたしは四ノ宮忠八さんの奥さんになりました」
朝顔の化身は、自分が忠八クンのお嫁さんになったいきさつを、小学生の朝顔の観察記録のような短い文節を重ねるだけで納得させてしまった。化身の名は孫文桜という。
「朝顔は朝に咲いて、お日様が顔を出したころには萎んでしまいます。それが朝顔の決められたあり方。ただね、場所や条件さえよければ、こうやって夕方ぐらいまではもたせることができるの。ね、あなた」
化身は、忠八クンに振った。
「ああ、そうなんだ。国にも、花のような生理があるんだ。朝顔のように暑い夏に涼しそうな花を付けて終わってしまうようなもの。うまく人の手を加えると、寿命はのばせるけど、何年ももたせることはできない。でも、種はしっかり残って、来年にはまた花を咲かせる。桜は葉っぱのままの時期が一番長い。満開に花を咲かせるのは、ほんの一週間ほど」
「まあ、桜は品種や育つ場所で咲く時期や長さが違いますね。さつきさんの妹さんは、やっと咲き始め。わたしは……忠八さんの育て方次第」
朝顔の化身は、いつの間にか桜の化身になっている。
「Cという国は、ラフレシアのように巨大な花になったり、程よい大きさのいくつもの花に変わったり。でも、その両方ともCという国なんだ。そして、その境目には自分も痛むし、他の国に影響を与えることもある。でも、その大きくなったり程よく分かれたりする中で、良くも悪くも周りの国に影響を与える。それがアジアというお花畑のありようだと思うんだ。お花畑には花守がいる。ここにいるみんなも、その花守の一人だと思うんだ……いい花を咲かそうよ」
孫桜さんが窓を開けた。暑さとともに庭の花々の匂いがいっせいに押し寄せてきた。
「さあ、この香りの中には何種類の花があるでしょうか?」
いたずらっぽく言う孫桜さんは、どことなくさくらに似ていた……。
☆彡 主な登場人物
- 佐倉 さくら 帝都女学院高校1年生
- 佐倉 さつき さくらの姉
- 佐倉 惣次郎 さくらの父
- 佐倉 由紀子 さくらの母 ペンネーム釈迦堂一葉(しゃかどういちは)
- 佐倉 惣一 さくらとさつきの兄 海上自衛隊員
- 佐久間 まくさ さくらのクラスメート
- 山口 えりな さくらのクラスメート バレー部のセッター
- 米井 由美 さくらのクラスメート 委員長
- 白石 優奈 帝都の同学年生 自分を八百比丘尼の生まれ変わりだと思っている
- 原 鈴奈 帝都の二年生 おもいろタンポポのメンバー
- 坂東 はるか さくらの先輩女優
- 氷室 聡子 さつきのバイト仲間の女子高生 サトちゃん
- 秋元 さつきのバイト仲間
- 四ノ宮 忠八 道路工事のガードマン
- 四ノ宮 篤子 忠八の妹
- 明菜 惣一の女友達
- 香取 北町警察の巡査
- クロウド Claude Leotard 陸自隊員
- 孫大人(孫文章) 忠八の祖父の友人 孫家とは日清戦争の頃からの付き合い
- 孫文桜 孫大人の孫娘、日ごろはサクラと呼ばれる
- 周恩華 謎の留学生